第3回 競泳・野村真波さん


私が野村真波さんに出会ったのは、2012年ロンドンパラリンピック前に行われたジャパンパラ水泳競技大会だった。ひときわ光る笑顔でハキハキと報道陣からの質問に答える姿が印象的だった。100メートル平泳ぎで北京パラリンピック...
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私が野村真波さんに出会ったのは、2012年ロンドンパラリンピック前に行われたジャパンパラ水泳競技大会だった。ひときわ光る笑顔でハキハキと報道陣からの質問に答える姿が印象的だった。100メートル平泳ぎで北京パラリンピックで4位、ロンドンパラリンピックでは8位入賞の成績をおさめた。

子どもの頃からの夢をかなえ看護師になった野村さん。「何があっても一生の仕事にしていきたい」と話す

7月某日の看護学生・医療スタッフを対象に行われた講演会。野村さんは約1200人の聴講者を前に、緊張している様子もなく、トレードマークともいえる笑顔で話し始めた。彼女は日本で初めての義手の看護師だ。まだ看護学生だった20歳のとき、バイクで実習先に向かう途中、トラックと接触し利き手の右腕がタイヤに巻き込まれた。腕を切断するかどうかの選択に、「片腕の看護師に何ができるの?腕は絶対に切らない」と、辛い治療にも泣きながら耐え続けた。普通の麻酔では激痛が取れず、全身麻酔で行われる治療に体が日に日に衰弱。「死」が目の前に迫ってきたとき、両親の「看護師にならなくてもいい。命があるだけでいい」という言葉に救われ、切断を決意したという。

右腕を切断した野村さんは、子どもの頃からの夢だった看護師にもなれない、温泉にもいけない、可愛い服も着られないと毎日眠れず泣き続け、誰にも会いたくないと面会も拒絶したのだそうだ。「私が病室でふさぎこんでいるとき、看護学校の先生が、片腕でも看護師になれるのかと奔走し、厚生労働省にまで掛け合ってくれました。『日本にはひとりも義手の看護師がいないが、本人のやる気次第で受け入れてもいい』という厚生労働省の回答を聞いて、看護師になれるかもしれないと希望が沸いたんです」

辛いリハビリに耐え看護学校に復学した日、「何ができるか、何ができないか分からないけれど、皆さんの力が必要です。手を貸してください」と自ら学生の前に出て現状を説明した。一人じゃ生きていけない、嫌なことから逃げないと前を向いたのだ。とはいえ、実習中は、先生から毎日のように「その義手で患者さんを突き刺したらどうするの?」「その義手を見て患者さんが不快な思いをすることまで考えてるの?」など容赦ない言葉が飛んだ。産婦人科研修では義手だからと赤ちゃんを抱かせてもらえず、実習が終わると「自分は他の生徒と違ってできないことが多いのに看護師になれるのか」と悔しさで毎日泣いたという。「先生の言葉に落ち込んだりしましたが、医療の現場はそれ以上に厳しい。どんな現場に飛び込んでも自信を失わず看護師を一生の仕事にしてほしいと、先生方も心を鬼にして厳しいことを言ってくださった」と先生たちの愛に感謝する。看護師になって7年目。看護師として①できること②できないこと③できるかもしれないけどやめておくことの3つのルールを決め、患者の命を守るために仕事に励む。

前例がないからと、どの病院でも製作を断られた「看護師専用の義手」。兵庫県立総合リハビリテーションセンターでは、看護師として必要な細かな動作ができる義手をなんとか製作してもらえた。聴講者に義手を見せながら「フック船長みたいでしょ」と笑う。「見た目は良くないけど私にとっては一番の相棒。この子がいないと私は看護師とはいえない」。今では、肩甲骨を動かしてフックを開閉させ注射や点滴、何でもこなす。

リハビリにと始めた水泳にのめりこみ、パラリンピック代表を目指すため勤務時間の短縮を職場に願い出たとき、同僚らは快く送り出してくれた。そして、義手の看護師が日本にひとりもいないと言われた時も、たくさんの人にサポートしてもらった。「私が好きなことをするために、それを支えてくれる人がたくさんいる。腕1本という代償は大きいけれど、失ったものより得たもののほうが大きい」

野村さんは休日を利用して、今でも泳ぎ続けている。そして、子どもの頃から好きだったバイオリンも始めた。バイオリン専用の義手をつけ音楽会などにも出演している。「義手でバイオリンを弾くなんて前代未聞。でも、今やりたいことは今やらないと。腕を失って気付いたことです。いつか、母の好きなさだまさしさんの曲を弾きたい」

月に4度のペースで小学校や中学校、市民公開の講演会にも積極的に参加する。「小学校では装飾義手を見た生徒が『うわぁ!気持ち悪い』と素直な感情を表現します。日本代表選手でもあり看護師でもあり胸を張って生きているけど、みんなからジロジロ見られたり指をさされることがとても怖い。実は強がっているんだよと正直に話すと、子どもたちの表情は一変し、一生懸命話を聞いてくれるんです」。これからも講演会で、人との繋がりや感謝の気持ち、くじけそうになっても逃げないことを伝えていきたいという。

「ブレるな。貫け」―どんなことも諦めず努力し続ける野村さんのモットーだ。

野村真波さんFaceBookページ


山下敦子/プロフィール
映画字幕編集職を経て現在はフリーランスライター。カナダ滞在歴約5年。大阪を拠点に活動し、時々海外逃亡。人物インタビューやコネタ、旅、終活など幅広いジャンルの記事をウェブや雑誌に執筆。映画、お笑いが好き。2012年に書き始めた落語台本では、上方落語協会佳作受賞。