第7回 復興へ向かって出陣 ”相馬野馬追” (前編)



福島復興応援のため、「ゴールドコーストで相馬野馬追(そうまのまおい)が開催できたら」と、多数の有志が集まってできたゴールドコースト相馬野馬追誘致委員会。

 
わたしも一員に加わり、委員会の方々と一緒に相馬野馬追の視...
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福島復興応援のため、「ゴールドコーストで相馬野馬追(そうまのまおい)が開催できたら」と、多数の有志が集まってできたゴールドコースト相馬野馬追誘致委員会。

黒地に日の丸の旗・相馬国旗が掲げられている相馬中村神社

わたしも一員に加わり、委員会の方々と一緒に相馬野馬追の視察へ行って来た。福島県浜通り北部、わたしの故郷いわき市から約80kmのところにある南相馬市と、約110km離れたところにある相馬市が舞台となる相馬野馬追。

旧相馬藩地域で毎年7月、3日間にわたり行われる、千年以上の歴史を誇る伝統行事で、東北六大祭りのひとつ。国の重要無形民族文化財にも指定されている。”野馬追が終われば相馬の夏が終わる”ともいわれているほど、地元の人たちにとっての一大イベントなのだ。

野馬追の起源は、奥州相馬氏の先祖である平将門が野に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事練習を行ったことに始まると伝えられている。野馬追は、妙見神を祀る3つの神社、相馬中村神社(相馬市)、相馬太田神社(南相馬市原町区)、相馬小高神社(南相馬市小高区)と、旧相馬中村藩の行政区だった五郷の騎馬会によって構成されている。

「相馬中村神社」‐ 宇多郷(相馬市)・北郷(南相馬市鹿島区)
「相馬太田神社」‐ 中ノ郷(南相馬市原町区、飯舘村)
「相馬小高神社」‐ 小高郷(南相馬市小高区) 漂葉郷(浪江町・双葉町・大熊町・葛尾村)

(左)今年の相馬野馬追の指揮を執る総大将:相馬陽胤公(藩主の子孫)(右)相馬中村神社から出陣する総大将

五郷の騎馬武者らが甲冑に身をかため、腰に太刀、背には旗指物をつけて、古式馬具を装着した馬にまたがり一同合戦場に集結する。野馬追期間中は、武者が話す言葉も戦国武士言葉。戦国時代にタイムスリップしたのかと思うほど、すべてにおいて迫力があるのだ。

(左)迫力ある相馬外天会による古式砲術 (右)本祭りのお行列 赤いほろを装着しているのが総大将

初日に行われる「宵祭り」の前日。相馬中村神社では宇多郷陣の安全祈願祭、総大将出陣祝いの宴が厳かに行われた。震災の被害に遭われた方々への黙祷を捧げたのち、相馬国歌「相馬流山」を斉唱。相馬外天会による古式砲術の演武、相馬民謡同好会による相馬流山演舞も披露された。

合戦の地・雲雀ヶ原祭場地、上からの眺め

第1日目「宵祭り」では、各神社で出陣式が執り行われ、副大将率いる北郷陣が総大将を迎え、宇多郷・北郷陣が一緒になり雲雀ヶ原祭場地へ。

相馬野馬追のメインイベント第2日目の「本祭り」では、相馬太田神社へ供奉する中ノ郷陣を先頭に、相馬小高神社、相馬中村神社の順に全騎がお行列を繰り広げ、本陣・雲雀ヶ原祭地場へと進軍していくのだ。見所はなんといっても、先祖代々伝わる旗をなびかせながら馬の速さを競う甲冑競馬と、400騎以上の騎馬武者たちが、打ち上げられた2本の御神旗を激しく奪い合う神旗争奪戦。戦国絵巻さながらな合戦を終えると、騎馬武者たちはそれぞれの神社に帰還していく。

(左)旗指物の風になびく音、馬が地面を蹴る音が迫力満点の甲冑競馬 (右)武者の熱気が伝わる神旗争奪戦

最終日に行われる神事は、相馬小高神社での「野馬懸」(のまがけ)。騎馬武者たちが裸馬を神社の竹矢来に追い込み、身を清めた白装束姿の御子人たちが神のおぼしめしにかなう馬を素手で捕らえ、神馬として神前に献納する。

(左)御子人たちが必死に馬を捕らえる野馬懸 (右)神前に献納された神馬

こうして相馬武士たちの熱い夏は、幕を閉じるのだ。

大堀功美子/プロフィール
オーガニックコンシェルジュ/ライター/フォトグラファー/メディアコーディネーター
福島県いわき市小名浜出身、オーストラリア・ゴールドコースト在住。オーガニックコンシェルジュとして五感で愉しめるオーガニックを広めるため、メディアへの出演、新聞や雑誌、ウェブマガジンなどへの寄稿、ワークショップを開催。連載コラムもいくつかある。オーストラリアにあるFuture Therapy Massage&Day Spa専属フォトグラファー。