第6回 私は「移民」

フィンランド語でフィンランド人に聞きたいことが山ほどある――そのモチベーション一つで、私のフィンランド語はケルホに通い始めた1、2か月でメキメキ上達した。そこでなんとか意志疎通ができるようになったと踏んだ私は、改めてコソ...
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フィンランド語でフィンランド人に聞きたいことが山ほどある――そのモチベーション一つで、私のフィンランド語はケルホに通い始めた1、2か月でメキメキ上達した。そこでなんとか意志疎通ができるようになったと踏んだ私は、改めてコソボ人のケルホ仲間に日ごろからの疑問をぶつけてみた。さりげなく、いつもの通り、「フィンランドってこうよねぇ、フィンランド人ってああよねぇ、うちの子どもったらねぇ……」など話をするついでに。

「で、あなたはどうしてフィンランドに来たの?」と私はシポニアに聞いた。コソボ人の中で最もフィンランド語ができるハズビエが来ておらず、ハズビエの次に在住年数が長いシポニアがいつもよりのびのびとフィンランド人職員と話をはずませていた日のことだった。職員たちとの話がひと段落ついて、たまたま子どもの遊び部屋で二人きりになってしまった私たちは、それぞれの子ども達について話し始めた。

「え?私――?」私の質問に対して、彼女は少し驚いたようだった。私は「あなた難民なの?」とは一言も聞いていない。でも彼女の見開いた目は「もしかしてそう思っているの?」というニュアンスを含んでいた。私は「ただ聞いてるだけ」という意思が伝わるように、あえて表情の無い目で見つめ返した。「ああ、夫が仕事でフィンランドに住んでいるからよ。彼が夏休みにコソボに帰省した時に知り合ったわけ」これを聞いて、生まれて初めて出会う「難民」が彼女ではなかったことに、がっかりするやら安堵するやらで脱力した。

母がフィンランド語での会話に夢中になっている間に、優樹はクッキーをむしゃむしゃ。立て続けに11枚完食という記録も樹立した

在住5年のシポニアと私はフィンランド語のレベルも同等であったが、まだ3年のミモザはハズビエがいなければ、今度はシポニアを通訳代わりに使う。同じコソボ人でもドイツから来たミモザは、私がほんのちょっとだけドイツ語も話すことを知ると、開口一番にドイツ語で「フィンランド最低!」と言い放った。シポニアによると、ミモザの両親がドイツへ移住し、ミモザはドイツ育ちなのだそうだ。「で、あなたはどうしてフィンランドに来たの?」と聞くと、ミモザはふてくされたように答えた。「私も両親の帰省につきあって行ったコソボで夫と出会ったのよ」なーんだ、である。

しかし、彼女の心境は複雑であった。「これがドイツだったら良かったのにさ。夫ときたら、フィンランドなんかで仕事みつけちゃうんだもの」中央ヨーロッパの大国から見れば、このひなびた北欧の国がどれだけ地味なものか、20代によくドイツに出入りしていたことがある私には良くわかる。それでいて、ミモザも3児の母とはいえ、まだ20代半ばと若かった。にぎやかなベルリンの夜の繁華街、きらびやかなブランデンブルグ門に巨大な高級デパートのカーデーヴェー――大きな茶色い瞳のミモザが語るドイツは、マッチ売りの少女のクリスマスのご馳走のごとく、眩しくて、手が届かないもののように思われた。

ハズビエには直接聞くまでも無く、彼女も移民であるということが判明した。当時まだ、ケラヴァ市が短期間のトライアルで認可したプロジェクトに過ぎなかったペルヘケルホは、存続するためのPR活動として、料理講習などのイベントがある時には、地方紙の新聞記者などを招待し、記事にしてもらっていた。そのうちの一つの記事を見てハズビエが、職員たちに「でも、なんでケルホが“難民”の為の施設って書いてあるの?まるで私まで難民みたいじゃない」ともらしたのだ。「あれ、あなたは違うの?」と聞くと、「やだ、サチコ。ここにいるコソボ人はみんな移民よ。逃げて来たんじゃなくて、夫達がたまたまフィンランドで仕事を見つけた。それだけのこと」――これが聞けるまで、どれだけ一人でもんもんとしたことだろう。

さらに聞けば、ケルホ唯一のイラク人女性でさえも、親が決めた結婚でフィンランドに来たのだという。先にフィンランドに渡ってきた彼女の夫にはイラク人女性の妻がいたのだが、離婚したか死別したかで本国に後妻の募集をかけたところ、彼女の両親が話を取り付けたというのだ。森や湖やムーミンに憧れて、住みたくて来たわけでも無く、夫の国という縁だけでやってきたフィンランドに、私は5年かかってもまだ馴染めていない自覚はあった。だが、彼女などは、毎朝9時ぴったりにケルホにやってきて、椅子に座ったまま、ほとんど口も開かずで、この国の地を踏むのも忌々しいというぐらいの拒絶感を漂わせている――それは、3か月という在住期間の短さだけではなく、見ず知らずの国で見ず知らずの男性の元に身を寄せている彼女の境遇がそうさせるものなのだと理解した。

私は、この日を迎えるまで自分自身を「移民」だと思ったことはなかった。移民という言葉を避けていたわけでは無い。私は単に、「フィンランド人と結婚した外国人」という以外に、自分のアイデンティティーが見いだせなかっただけだ。移民というのは、もっと積極的にそこに住もうという固い決意やビジョンがあって行動を起こした人たちのことを指すのだとも思っていた。だが、逃げるほどの理由があったわけでもなく、好もうと好まざろうと、永住を前提として国境を越えてきた人たちというのは、客観的に見れば一律に「移民」と呼ばれざるを得ない。彼女たちも移民なら、私も同じく移民なのだ。私は、とりわけ求めていたわけではないものの、思わぬところから新しい解釈が得られたことにすっきりした。「私は移民」――それでいいのだ。

晴れて自分の身分を受け入れられた私は、このケルホにもう一人の移民を連れてくることを考えはじめた。

靴家さちこ/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、結婚を機に2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『オルタナ』『FQ』』などの雑誌・ムックの他、『PUNTA』、『ジャポジェンヌ』『WEBRONZA』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。