第6回 アイススレッジホッケー・上原大祐さん 

皆さんはアイススレッジホッケーをご存知だろうか?下肢に障がいを持つ選手がスレッジと呼ばれる専用のソリに乗り両手にスティックを持って戦う競技だ。アイススレッジホッケーはアイスホッケーと同様に氷上の格闘技とも言われ、選手たち...
LINEで送る

皆さんはアイススレッジホッケーをご存知だろうか?下肢に障がいを持つ選手がスレッジと呼ばれる専用のソリに乗り両手にスティックを持って戦う競技だ。アイススレッジホッケーはアイスホッケーと同様に氷上の格闘技とも言われ、選手たちはスレッジごと体当たりするためフレームがぶつかりあうと火花が散ることもあるほど。

2010年のバンクーバーパラリンピックで日本チームは悲願の銀メダルを獲得したが、ソチパラリンピックには残念ながらチームの成績が振るわず出場することができなかった。

笑顔になろう、笑顔にしようをスローガンに3月に東京で開催された「Happy day Tokyo 2014」のブース前で

先日、IPC(国際パラリンピック委員会)ホームページで、世界のTop10ベストプレイヤーに選出されたアイススレッジホッケー選手の上原大祐さんの活動を紹介したい。紹介文には『小さいけれど世界トップクラスのスピード。パックハンドリングとスレッジコントロールの強さを合わせると止めるのが難しい選手。2010年バンクーバーパラリンピックで銀メダルの快挙の貢献者』とある。

上原さんは生まれながらに二分脊椎という障がいがあるが、子どもの頃から車いすを置いて野山をかけめぐるワンパク少年だったという。そんな彼がアイススレッジホッケーを始めたのは19歳。そこで仲間に出会えたことが彼の人生を大きく変えた。障がいを笑いにする仲間たちの会話を聞くうちに上原さん自身も障がいのことを抵抗なく話せるようになっていく。「今までも障がいと共に生活してきたが、より自分の障がいを受け入れる事が出来るようになった」と話す。現在はアイススレッジホッケーの魅力を障がいの有無に関わらず伝えていきたいと、仕事と練習の合間を縫って講演会や体験会を行っている。

「Happy day Tokyo 2014」でバンクーバーパラリンピック時の銀メダルを首にかける参加者

上原さんは2012年8月から1年間、仕事を休職しアメリカへホッケー留学をした。以前、試合でカナダ遠征をしたときに、小さい子どもたちがジュニア選手としてアイススレッジホッケーを楽しむ姿を目の当たりにし衝撃を受けたことがきっかけだ。子どもたちのチームをサポートする環境や運営方法を学んで、日本でもその環境を整えたいと考えたのだ。

「日本ではアイススレッジホッケーはまだマイナー競技ですが、北米では競技人口も多く、障がいがあっても子どもの頃からスポーツに取り組んでいる。どうしてアメリカの子どもたちはこんなにスポーツするのに日本の子どもたちはしていないのか…」と、アメリカの生活を通し、疑問を抱いたという。

そして帰国後、病院や障がいを持つ患者の会などを訪ね、医師や障がいを持つ子どもたちの親と話をしていくうちに、日本は障がいがあると学校に入学し日常生活をおくることだけで親が力尽き、スポーツなど課外活動をする余力がないことを実感したという。そこで上原さんは、まず全国で障がい者の子どもを持つ親のコミュニティーを確立させ、親を支援できるボランティア組織を作ることが先決だと活動を始めた。

「医療や教育、子どもたちの将来の就職についても不安な親御さんがたくさんいるので少しでも不安面を軽減できるよう、医療従事者や行政、子どもを支援したいという企業などとタッグを組んで、気軽に情報交換できる場を提供したいと思っています」と話す。

アイススレッジホッケーを知ってもらうために約500人の人に銀メダルを触ってもらった

また、彼は今までは障がいを持つ子どもたちを中心にアイススレッジホッケーの体験会を行なってきたが、5月11日には健常者も参加できる体験会を東京で実施する。多くの人にアイススレッジホッケーの魅力を知ってもらいたいからだ。これからも、アイススレッジホッケーを中心に、スポーツを通して行ないたい活動や夢は尽きない。

上原さんは最後に、「今までの人生もそうでしたが前を進み動けば必ず何かが生まれる。僕の役目は沢山の人に夢を届け笑顔を作ること、そして沢山の笑顔に出会うこと。興味のある方は子どもたちの笑顔のために一緒に夢を届けませんか?」と力強く話してくれた。

上原大祐公式ブログ

山下敦子(やましたあつこ)/プロフィール
映画字幕編集職を経て現在はフリーランスライター。大阪を拠点に活動し、時々海外逃亡。人物インタビューやコネタ、旅などの記事をウェブや雑誌に執筆中。2012年に書き始めた落語台本では、上方落語協会佳作受賞。