第9回(最終回)サンシャインいわき

あれから3年。
2014年3月11日、わたしは故郷福島県いわき市にいた。去年のこの日もいわきで過ごし、津波被害が甚大だった薄磯地区で黙祷を捧げた。

今年は薄磯海岸に行く前に友人のお墓に手を合わせるため、この地区にある寺...
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あれから3年。

2014年3月11日、わたしは故郷福島県いわき市にいた。去年のこの日もいわきで過ごし、津波被害が甚大だった薄磯地区で黙祷を捧げた。

今年は薄磯海岸に行く前に友人のお墓に手を合わせるため、この地区にある寺、修徳院へ足を運んだ。もうすでに遺族が集まっていて、テレビカメラマンや報道記者たちも大勢いた。

本堂からは線香の香りが漂っており、30人ほどのお坊さんがお経を唱えていた。

14:46 黙祷のサイレンがいわき市中に鳴り響く。お坊さんと遺族たちが海に向かって黙祷を捧げた。

その後わたしは海岸に向かって歩いた。お寺から海までは、ゆっくり歩いても5分とかからなくなった。それは家屋が撤去され、一直線に歩いていけるからだ。

今では基礎コンクリートの撤去作業が進んでいるため、”ガレキに花を咲かせましょうプロジェクト”で描かれたガレキに咲いた色とりどりの花々が、ひまわり畑や花壇が姿を消していて、少しさびしくなった。海岸に着くと、こちらにもテレビカメラマンや報道記者たちが大勢おり、線香を手向ける人びとでもあふれていた。

薄磯海岸にて

お坊さんから、ご署名をと渡された水塔婆。これから亡くなった方々の供養のために、その水塔婆を海に流すとのことだった。名前を書いていると、近くにいた男性がわたしに声をかけてきた。

「あんた、こごらの人げ?」

その男性は、福島第一原子力発電所付近の住民だったため避難を余儀なくされ、いわき市にある仮設住宅で避難生活を送っている方だった。

「ほんとうに悔しいよな。薄磯には初めて来たんだげど、いわきでこんなにひどい津波の被害があったなんて知んねがっだ。今日来て手を合わせられで、ほんとうによがった」

その男性はそう言い、涙を浮かべながら、3年前のあの日のことを話し始めた。震災の体験は人それぞれだ。状況も異なる。だから、ひとりひとりの声を聞くことは、とても大事なことなのだ。


薄磯から見える真っ白い塩屋崎灯台。故美空ひばりの「みだれ髪」で有名な灯台である。震災で損傷を受けずっと立ち入り禁止だったが、2014年2月22日、修復工事が完了し、3年ぶりに一般公開を再開させた。灯台ふもとには「みだれ髪歌碑」、「美空ひばり遺影碑」、「永遠のひばり像」があるため、いま薄磯は多くの観光客で賑わいをみせている。

わたしはおよそ5年ぶりに、灯台に上ってみた。青い空と碧い海のコントラストは、無条件にきれいで、目の前に広がる太平洋と素晴らしい景色にも感動する。だが、灯台から見える景色は、震災前とまったく異なってしまった。人びとの生活があった灯台ふもとの、豊間地区と薄磯地区が大きく一変したからだ。

薄磯地区。広野火力発電所の煙突が見える               豊間地区

ほとんどの家屋が津波の被害に遭い、撤去され、もうすぐ更地になろうとしている。薄磯海岸から300mくらい離れたところでは、薄磯地区に居住していた方用の復興住宅が2棟建設中である。これからこの地区はどのように変化していくのだろう。

スパリゾートハワイアンズのフラガール

しかし、いわきの自慢であるこの碧い海はいつでも変わらず、ここにある。グッドサーフスポットで有名な豊間では、いつもと変わらず県内外から訪れる多くのサーファーたちがサーフィンを楽しんでいる。塩屋崎灯台の灯りが、海を照らし船の無事を守ってきたように、薄磯地区と豊間地区も照らしてきたように、これから先ずっと希望の光となって明るく照らし続け、見守っていってほしいと願う。

大堀功美子/プロフィール
オーガニックコンシェルジュ/セラピスト/ライター/フォトグラファー
福島県いわき市小名浜出身、オーストラリア・ゴールドコースト在住。オーガニックコンシェルジュとして五感で愉しめるオーガニックを広めるため、メディアへの出演、新聞や雑誌、ウェブマガジンなどへの寄稿、ワークショップを開催。連載コラムもいくつかある。オーストラリアにあるFuture Therapy Massage&Day Spa専属フォトグラファー。