第8回 イスラムの伝統工芸ダマスキナードの聖地、トレドで7

 「うわー」と言ったきり息をひそめ、ガラス張り陳列棚を食い入るように見つめては、ゆっくり棚から棚へ移動するエミコさん。
背中を見せているエミコさんがじっくり作品に見入る事ができるように、私はハトさんを捕まえて、おしゃべり...
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「うわー」と言ったきり息をひそめ、ガラス張り陳列棚を食い入るように見つめては、ゆっくり棚から棚へ移動するエミコさん。

背中を見せているエミコさんがじっくり作品に見入る事ができるように、私はハトさんを捕まえて、おしゃべりを始めました。最近の仕事や日常の出来事など、私のどんな話にもハトさんはコメントをつけてくれるので話が弾んで止まりません。ホセさんは、いつものように、いつもの場所で、作品作りをしています。

ハトさんは、彼らの店「アタウヒア」が掲載されている日本のガイドブックを持ってくるお客さんが、ガイドブックに紹介されている商品だけに興味を示すのを不思議がっていました。

「どうして?」とハトさん。

「日本では、ガイドブックは信仰されているのよ」と私。

「ガイドブックに載っている作品は金箔、銀箔で作られているの。金糸、銀糸で作ったダマスキナードの方が価値があるのよ、実は」

「まあ、そうなの? じゃあ、今度改訂版の話がきたときに、編集者に伝えるわ」

そんな会話には振り向きもせず、エミコさんは作品鑑賞に集中しています。
時折聞こえてくるのは、柔らかなため息。

ふと、エミコさんがくるりとこちらを向きました。今度は私たちの後ろ側にある飾り棚を眺めるためです。店の中を横切りがてら私に漏らしたエミコさんの言葉には、彼女の興奮が溢れていました。

「タエコさん、連れてきてもらって、よかった! すごいわ」

ホセさんには、エミコさんがただのお客さんではない事が伝わったのではないでしょうか。しかし、彼は淡々と仕事を続けています。

エミコさんの背中に向かって、私は言いました。

「ねえ、カミングアウトしてもいいんじゃない? 私も作品作っているって」

「いや、だめですよ。まだ、言いたくない!」

二人に丁寧にお礼を言ってからお店を出た後、
「なんで、自分のこと、言わなかったの?」

と、しつこく私が何度聞いてもその理由を教えてくれないエミコさん。

特に行き先を決めていた訳ではないのに、わたしたちの足は、自然にシモンさんの店に向かっていました。

「オラ!(やあ!) よく来たね!」

店の奥から立ち上がって入り口まで来てくれたシモンさんは私の両手をとり、私は彼の両頬に挨拶のキスをしました。

「ケタル、ケタル?(どう、元気?)」と、 温かくて厚く柔らかい手で私の手を握りながら 、満面の笑みで聞いてくれるシモンさん。エミコさんはすでにガラスの陳列棚に張り付いています。

「あっ、この骨董! これ、シモンさんのだったのね! いつか、トレドのダマスキナードについての専門書で見た事があるんですよ。いやあ、本物が見れた!」

「えっ?」

それを聞いて、ふっと思い出しました。 シモンさんの言葉を。

———ダマスキナードのことなら、トルネリアス・モスクに売っている『トレドのダマスキナード』を読むといい。シリアから伝わる以前の歴史も書いてあるからね———

目を骨董のダマスキナードに向けたとたん、私の右肩が温かい手のひらに包まれました。「ほら、こっちも見てごらん」と、シモンさんが奥の棚へ誘ってくれたのです。右の手のひらで私の肩、左の手のひらでエミコさんの肩を抱きながら、自慢の作品の前に立つシモンさんは、今年84歳。笑顔を崩しません。

しかし、ここでもエミコさんは、自分のダマスキナードについて頑に口を閉ざしています。彼女の真剣で感動に満ちている瞳を、ダマスキナード製作に70年もかけてきた匠はどう感じていた事でしょう。

最初に訪問したときに私が投げた質問に、彼が答えてくれた言葉を私は思い出していました。

「ダマスキナード人生を通して、学んだ事はなんですか?」

「好きな事を仕事にすることは幸せだという事に尽きるね。好きだから、心から打ち込めるのだ。息子にもいつもそう言ってきたんだよ!」

———  その日の夕方。

楽しい語らいを終えてお店を出た私たちが到着したのは行きつけのバル。カウンターでワインを頼んでいる私たちの周りに次々と顔なじみが集まり、にぎやかに両頬にキスをし合いながら、エミコさんと彼らは互いに自己紹介をしています。

「ここならいいでしょ?」と、私はエミコさんと彼女の胸元に架かるペンダントを指して、

「彼女、日本でダマスキナード作っているの! 見て、これが作品よ!」

モチーフは似ていてもトレドにはない自由で斬新なデザインに驚いた友達が、また友達を呼んできては、

「ねえ、見せて!」

伊藤恵美子さんの作品

たちまち、作品を見せてくれとせがむ列ができてしまう様子に、地元っ子たちの伝統工芸に対する愛を感じないではいられませんでした。ダマスキナードには普段は見向きもしないのに、技や美しさをよく理解していたのです。

その2週間後に日本へ戻ったエミコさんから、しばらくして、大きなニュースが届きました。

熊本のネイルサロン「アレーズ・ル・レピ」がニューヨークで開催した「 ネイルアートチップ・コンペティション」で、彼女のネイルアートがスポンサー賞を受賞したのです。

受賞作品の爪

黒地に金銀の模様がちりばめられた妖艶な爪が5枚。ただならぬその形に、「オトコの背中をツーッと引っ掻いてみたくなる爪だね!」と、思わず返信した私。

なぜ、エミコさんがトレドでカミングアウトしなかったのか、少しだけ、わかった気がしました。

シリアからトレドを経て熊本へ受け継がれた伝統の枠を超えて、現代女性の美の世界へ発展させてしまったことを、受け入れてもらえる問題なのか、罪なのか、作った本人のエミコさん自身、答えを模索している途中だったからなのかもしれません。

先日、石畳のショッピングモールにできたデンマークの雑貨店「Tiger」の店内で、ホセさんとハトさんに久しぶりにばったり会い、立ち話が始まりました。

伊藤恵美子さん

「もうあの友達は帰っちゃったんだね?」と聞くホセさん。

「彼女、ダマスキナードをやっているのよ」

「それはわかっていたよ。あのとき、言ってくれればよかったのにね」

「巨匠の前で、恥ずかしかったんじゃないかしら」

エミコさん、ごめん。バラしてしまった。しかしやっぱり、ホセさん、わかっていたじゃない!

そう心で謝りつつも、こういう形で、トレドの伝統工芸の職人が日本の熊本でトレドの伝統を受け継ぐアーティストと出会った瞬間の目撃者になれたことに、私の心が嬉しさで満たされました。

【本編に連続登場してくれたエミコさんご紹介】
伊藤恵美子:
職業はものをつくる人。スペインのトレドと日本の熊本をメインに活動中です!!両方に共通の伝統工芸である『象眼』をベースに、アクセサリーや、いろいろな作品を制作しております!私の作っている象眼とは鉄に金、銀を装飾する技術なのですが、スペインも日本も元来は甲冑や刀剣に装飾するものから始まっています。Soulを感じる制作を目指しています☆ ブログFacebook

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
今月から本名の河合妙子改め、河合妙香(カワイタエコ)を名乗ります。理由は、①妙香の音読み「ミョウコウ」は難産であった私を救ってくれたお産婆さんの石毛妙光さん(ミョウコウ)の音にちなむ、②ライター写真業10年の今年から、さらにがんばるぞという気概も含めて。これからも、もっともっとがんばります! どうぞよろしくお願いいたします。
さて最近の仕事ですが、先月、J-WAVEでトレドについておしゃべりしました。TOLEDO(SPAIN) DAY1(2014.08.11) 及び
TOLEDO(SPAIN) DAY2(2014.08.12)

それから、現在発売中のぶんか社『GINA』9月号「World Girl’s Room」で、トレドのおしゃれな女の子のお部屋を紹介しています。どうぞ、ご覧下さい!