バルゲーニョという聞き慣れない名の伝統家具の面白さを私に教えてくれたのは、トレドは毎年秋に開かれる、「カスティーリャ・ラ・マンチャ州職人フェリア」、略して「FARCAMA」(ファルカマ)と呼ばれる職人フェアで出会ったフリオさんでした。
スペインはもとよりヨーロッパ各国の伝統工芸の匠たちが集まるこのフェアは、不景気のため昨年より縮小されたものの、今年も開かれました。今年のファルカマへの私の期待は、いつになく高いものでした。『地球はとっても丸い』での連載を始めたこともあり、職人たちとの新たな出会いを求めていたからです。
バルゲーニョのブースで、ゆっくりと作品を鑑賞しはじめたときのこと。
「どこから来たの? 東京? 大阪?」
ブースにいた初老の男性が、話しかけてきました。
この手の会話は、探したい目的がはっきりしているときには鬱陶しいものです。
「東京です」と彼の目を見ず適当に答え、私は作品を見続けていました。
「それは、日本のキモノだね?」
その日、私が着ていたのは、祖母の形見の黒絹の羽織。
「いいえ、ジャケット代わりにと思って。今の季節にちょうどいいから」
私たちの会話は、こうして始まりました。
「日本へは何回か行ったんですよ。娘が奈良に住んでいたもので。もう10年以上も前の話です」
「はあ、そうでしたか」
「娘はスペイン語を教えていたんです」
それを聞いて、私は振り返り、彼の顔をじっと見てしまいました。
「もしかして、お嬢さんの名は、イザベル?」
「そうですが」
「えっ、あなたは、イザベルのお父さん!? 私、彼女のご主人もよく知っているんですよ! 先日も一緒に飲んだばかりなんです」
「なんだ、娘の友達だったとは! 君は家族も同然じゃないか!」
今は2児の母であるイザベルが奈良でスペイン語を教えていたことは知っていましたが、彼女の父親がバルゲーニョの職人さんだったとは!
優しいまなざしで笑顔を浮かべながら、彼もまた驚喜の声を上げています。
そこで互いに名乗り合い、彼の名がフリオであることを知りました。
「もう、長いんですか、バルゲーニョの職人さんになられて?」
「今年74歳だから、60年が経ったね。13歳から始めたからね」
「まあ。きっかけは?」
「家業だったんだよ」
「そうだったんですか」
ゆっくり頷く私に、
「まあ、座って。コーラでも飲むかい?」
そう言ってコーラの缶を私に渡しながら、バルゲーニョは「モリスコ」 の仕事だったとフリオさんが教えてくれました。
「モリスコ」というのは、15世紀以降、キリスト教化したイベリア半島に住んでいたイスラム教徒のことです。表面的にはキリスト教徒に改宗しながらも、心ではイスラム教を信じていた人々です。
「じゃあ、フリオさんもモリスコの子孫なんですか?」
「いや、そういうわけではないのだが――」
(フリオさんの家業の歴史を知りたいぞ)
心の中で、芽生える興味を押さえられなくなりそうな私。
日本ではあまり知られていないのですが、「モリスコ」の歴史は大変興味深く、たとえばスペイン建築史はモリスコの貢献抜きには考えることができません。
イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が共存していた街だったと伝えられているトレドですが、1492年に、「カトリック両王」と呼ばれるイザベル女王とフェルナンド国王によって「ユダヤ人追放令」が発布される頃には、異端審問の嵐が吹き荒れ、異教徒たちはカトリックに改宗するか、国外に出るかの二者択一を迫られていました。
イスラム教徒のうち、モリスコとしてスペインに生きることを選んだ人々もいましたが、それまで住んでいたトレドの中心地からは追われ、近辺の村に移り住まざるを得なくなるという状況に。
一方、古代からの首都であり重要な教会や施設も多かったトレドには、1561年のマドリード遷都後も、カトリックの聖職者や役人、貴族たちが多く住んでいました。
カトリックの勝利に沸くトレドでは建設ラッシュが始まっていました。修道院や教会は新築するのではなく、イスラム教やユダヤ教の礼拝堂や寺院を 改築・改修して使用。異教徒たちが住んでいた豪邸は、貴族の館になりました。
モリスコたちは手先が器用で、木工や、陶芸・タイルといった技術があり、繊細で質の高い仕事をすることですでに有名でしたから、教会や貴族たちは改修工事やインテリアの仕事を彼らに依頼しました。
そんな時代、バルガスという、トレドの中心から10kmほどの場所にある村に移り住んだモリスコたちが作る家具に、人気が集まり始めました。
首都がマドリードに移り、航海技術も発達したことで、「旅」が聖職者や貴族たちの日常になっていった時代。持ち運びしやすいバルガスのモリスコたちの家具が、時代にマッチしたのでしょう。
バルガスで生まれたから、その名を取って「バルゲーニョ」。
「バルガス、夏の牛追い祭り以外に何にもない村だと思っていたけど、トレンドな場所だったんですね」
「 昔はね、あはは。私の工場(=こうば)は、バルガスではなく、ポリゴノだったよ」
「『だった』ということは、今はどこにあるんですか?」
「閉鎖した。廃業したんだ」
「あら、お辞めになったのですか? それは残念。作っているところを見てみたかったわ。見るなら、どこへ行けばいいのかしら? 知っている職人さんはいますか?」
「もう、いないよ。スペインにはもういないよ」
「ということは……、あなたが、地上最後の後継者?」
《河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール》
ライター、フォトグファー。台北の政治大学大学院でジャーナリズムを研究した後、トレドにやって来たのは2002年。当時話せた言葉は英語、中国語、フランス語。新しい言葉なんてもう覚えたくないとうんざりしていたのに、気がつけば、スペイン語で仕事をし、スペインの未曾有の経済危機に対して何かしら貢献しなければと手探りで起業。ビジネスでは複数のことが連結し、3歩進んで2歩下がるスピードで、一つのことに向かって行く過程を体験中。