第4回 翻訳することへの憧れと現実

『赤毛のアン』を訳して日本に紹介したことで有名な翻訳家の村岡花子は、自分が女学校の図書室で読みふけった英米文学のような少女向けの明るい物語が当時の日本になかったことを残念に思い、自分で翻訳することを思い立ったという。

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『赤毛のアン』を訳して日本に紹介したことで有名な翻訳家の村岡花子は、自分が女学校の図書室で読みふけった英米文学のような少女向けの明るい物語が当時の日本になかったことを残念に思い、自分で翻訳することを思い立ったという。

最近、村岡花子の生涯を描いた『アンのゆりかご』(新潮文庫、2011年)という本を読みながら、私がポーランド文学の翻訳に興味を抱いた頃の気持ちが、当時の村岡花子の気持ちとよく似ていることに気がついた。

子どもの頃に好きだった『しずくのぼうけん』の原書。ポーランドではだいぶ前に 絶版になっており、何年も探し回った末、昨年インターネットの古書店でようやく見つけた。 絵本は通常20ズウォティ以下で購入できるが、こちらは50ズウォ ティ(約1500円)近くという驚きの高値。

ポーランド語にかかわるようになってすぐに分かったのは、辞書を含めてポーランドに関する文献が大変少ないということだった。ポーランドの文学作品がどんなものなのか知りたいと思っても邦訳は少なく、その上絶版になっている作品も多かった。それでも大学の図書館で見つけた本を読みながら、次第にポーランド文学のイメージが浮かび上がってきた。暗いと思っていたポーランド文学の中にも、犬を主人公にした童話や、ポーランドのごく普通の少女達の生活を描いた小説など、明るく楽しい物語が存在することを知った。子どもの頃に好きだった『しずくのぼうけん』(福音館書店)が、マリア・テルリコフスカというポーランドの児童文学作家によって書かれ、そのかわいらしい挿し絵はボフダン・ブテンコ という著名なポーランド人絵本画家の手によることが分かったときは、驚きと同時になんだか嬉しくなった。大学での授業が進んでいくと、邦訳のない作品の原文を読むようになり、この作品は面白いのに、どうして日本で紹介されていないのだろうと思うことも度々あった。

あるとき、ポーランド文学の授業で、先生がおっしゃったことがある。

「ポーランドには、まだまだ多くの人に知ってもらいたい興味深い作品がたくさんあるのですが、翻訳する時間も人も足りないんですよ」

村岡花子の時代に英米文学を翻訳する人が少なかったように、ポーランド文学を翻訳する人が少ない。それならば、私も気に入った作品を翻訳して日本に紹介することができるのではないだろうか。

私の最初の「翻訳作品」は前回にも触れた、大学の卒業論文だった。詩の翻訳というのは小説の翻訳以上に難しいものだったが、ポーランド語を日本語に変換していく作業は楽しかった。

卒論執筆と並行して行っていたのが、就職活動。文芸翻訳のことばかりが頭にあった私は、様々な文学に触れられる出版社への就職を夢見て、出版関係を中心に回っていた。しかし、出版社というのは想像以上に狭き門で、ほとんど先に進めないまま不採用の通知を受け取る日が続いた。一社からも内定が出ないまま6月に入ったある日、友人から翻訳会社の募集があると聞き、行ってみることに。

翻訳会社という職種のことは頭の片隅にもなかった私には未知の世界に思えたが、私が希望していた出版社に似た編集作業もでき、何より大学で学んできたポーランド語を使えるというところに惹かれ、またも運命に導かれるかのように、内定を頂いたその会社への就職を決めたのだった。

プロの翻訳者が訳したポーランド語の文章を読むことができる翻訳会社での仕事は、とても勉強になり、毎日が充実していた。一方で、私の憧れであった文芸翻訳の分野とはかけ離れた産業翻訳がメインであったため、このまま文芸翻訳から遠ざかってしまうのではないかという不安も生まれた。

就職して3年半経った2001年の秋、どうしてもポーランド文学の翻訳をしたいという夢をあきらめきれなかった私は、大学時代の恩師のアドバイスを受け、ポーランドのポズナンにある国立アダム・ミツキェヴィチ大学へ1年間の留学に出発。様々なポーランドの文学作品を収集しながらポーランド語を上達させることと、ポーランドの春夏秋冬の行事や生活の様子を見て体験してくることが目的だった。

留学中には様々なポーランドの行事を体験。11月30日の「アンジェイキ」という 行事もそのひとつ。その日、女の子達は集まっていろいろな占いをするのだが、 これは「水面にろうを流し、できあがったろうの形で未来の結婚相手を占う」 というもの。

ポーランドで生活していると、当然のことながら文学作品に登場する食べ物や行事が現実のものとなって目の前に現れる。日本では想像することしかできなかったものばかりだ。「翻訳するにはまず現地で生活してみるのが一番」という恩師の言葉を身に染みて感じることになった。

世界各国からやって来た留学生やたくさんのポーランド人学生と知り合い、刺激を受けたあの留学からもう14年の歳月が流れた。日本で馴染みのないポーランド文学なら、出版社に部分訳とレジュメを送るだけですぐによい返事がもらえると思っていた私は、分厚い壁にぶつかることになり、一通り翻訳した200ページもの作品でさえ、最後の最後に不採用となってしまった。憧れていた翻訳家への道のりは思っていた以上に厳しく、自分には翻訳の才能がないのではないかと思うときもある。しかし、ライターとして様々な文章を書きながら、日本語に磨きをかけ、私が好きになったポーランド文学の世界を日本に紹介すべく、これからもあきらめずに翻訳を続けていきたい。

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。ポーランドが日本でマイナーな部類に属するのに対し、ポーランドでは日本に関心を持つ人が大変多い。最近では『龍の子太郎』(松谷みよ子作)が『Tatsu Taro, syn smoka(龍の息子、タツタロウ)』というタイトルでポーランド語で出版されているのを発見。それならば、と私も日本の児童文学作品をポーランドに紹介することを考え始めた。どんな本がポーランドの子ども達に気に入られるだろう。ブログ「poziomkaとポーランドの人々」