第15回 アンドレーサ事件再び

実のところ、日本に住んでいた時から、夫から「カタログ見合い」の話は聞かされていた。フィンランド人女性に相手にされない孤独なフィンランド人男性が、お金持ちの白人との国際結婚を夢見るタイ人女性の登録サイトを見て、気に入った女...
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実のところ、日本に住んでいた時から、夫から「カタログ見合い」の話は聞かされていた。フィンランド人女性に相手にされない孤独なフィンランド人男性が、お金持ちの白人との国際結婚を夢見るタイ人女性の登録サイトを見て、気に入った女性を呼び寄せ結婚するというものだ。「日本のことをよく知らない普通のフィンランド人が、僕と君がベビーカーを押して歩いているのを見たら、間違いなくそういうカップルだと思うだろう」とも断言していた。

自慢じゃないが、地黒なうえにUV対策も適当なので、肌の色だけならタイ人に見える自信がある。なので、タイ人に見られるのは構わなかったのだが、さすがに「フィンランドで『タイ式マッサージ』の店というのは、性的なサービスをする店のことだ」と聞かされた時にはショックだった。(実際には普通のマッサージだけの店もある)幼少の頃に住んでいた、色鮮やかな東南アジアの国が現実として持たれているイメージはそれなのだ。

アンドレーサも彼女の夫から同じようなことを聞かされていたそうだ。しかし誇り高い彼女は、自分がお金のために好きでもない白人男性に身をゆだねる「プロスティトゥータ(=ポルトガル語で売春婦)」に見られることを心から嫌がっていた。

それを知ってか知らずか、アンドレーサが夏休み前のケルホで「お天気が良かったのでビキニに着替えて庭で窓掃除をしていたら、夫が慌てて駆けつけてきてねぇ……」と失敗談を打ち明けた時、よりによってシポニアが「そりゃアナタ、そんなことしたら、近所の人に一体どこの売春婦かって思われたでしょうよ」と、大笑いで突っこんでしまった。

フィンランド人も年間ごく数日しかない真夏日には、自宅の庭やベランダで水着に着替えて日光浴をする。が、ブラジル人のアンドレーサが着る「ビキニ」というのは、ほとんど紐みたいな、リオのカーニバルの衣装的なものだ。同じようなビキニを着て、夫婦でフィンランドのスパリゾートに出かけて熱い注目を浴びてしまったことがあるアンドレーサは、それに懲りてもっと肌を隠す面積が大きい普通のビキニを購入したそうだ。

「いやらしいことじゃなくて、ブラジルでは女性たる者、美しさは隠すものじゃなくて堂々と見せるものなのに……」と残念がるアンドレーサに、シポニアは「まぁ、郷に入れば郷に従えじゃないの?  私だって、コソボに住んでたらもっとしっかりメイクして、イスラム教徒らしくスカーフも被ってなきゃいけないけど、今はこうしてフィンランドに住んでいるのだから、フィンランド流にやってるもの」と先輩風を吹かせた。

「私もよ! ここはフィンランドなんだから、タイのことはさておいて、何でもフィランド人を見習って……」とそこにヴィライも加担する。その時に限らず、こういう「私がいかにフィンランド化してがんばっているか」という話題になると、この二人はよく意気投合して語りだした。海外からの移住者のフィンランド人化という点で深く共鳴した二人は、ケルホが終わった後も互いの家を行き来するほどの仲になった。

さて例のビキニの一件について、早速その日の帰り道にアンドレーサは「あの女、私のことをプロスティトゥータと言ったわ!」と怒り狂い、シポニアを完全に敵視するようになった。私は「正確には、近所の人達にそう思われたかもよ、って言っただけよ」と誤解を解こうとしたが、修正は難しかった。さらにそのシポニアと仲良しのヴィライについても、「あのタイ人もよ! ジャジゴ(=私の名をこう発音する)がいなかった日に、私がコーヒー当番だったんだけど、シポニアと二人で空のコーヒーカップ差し出して『コーヒーお代わり!』『早く早く!』って、まるで召使いに言うみたいに呼びつけて……!!!」と、ふたりまとめて嫌い始めている。

バケーション先のトルコにて

ケルホがそんな不穏な空気に包まれたまま、長男の夏休みを迎え、私は一足お先に家族とバケーションに出かけ、そのまま日本に里帰りしてしまった。約一ヶ月ぶりに訪れたケルホで、私の姿を認めたアンドレーサが駆け寄ってきて抱きついた。「ジャジーゴォ……!」――事件は私がいない間に起こっていた。「私、ポリーシ(=フィンランド語で警察)を呼んでって言ってやったのよ!」

事件が起こったのは、ほんの数日前のこと。私に張り付いたまま全てを語ってくれたアンドレーサによると、ヴィライがケルホの中でお財布を無くしたそうだ。「そしたらね、あの人、『家に置いてきたんじゃないわ。財布はここで無くなったのよ!』って言い出して、真っ先に私に向かって『あなたの鞄の中身を見せて!』って迫ったのよ!」

褐色の肌ながらも、アンドレーサの顔は青ざめていた。「他の誰にも聞かないで、最初に、この私に聞いたのよ!」たまたまアンドレーサがヴィライの一番近くにいただけかもしれないが、確かに失礼ではある。「だから私、鞄を開けて中身を全部出して見せてから、言ってやったの。『さぁ、今すぐ電話してポリーシを呼びなさいよ!』って」「あのぉ~、その時パオラとメリヤは?」「何かの用事で二人ともいなかったわ」――時差ボケと8月の陽気と、この待ち受けていたショッキングなニュースに、私はしばし口を開けて固まってしまった。

靴家さちこ(くつけさちこ)/プロフィール
1974年生まれ。フィンランド在住ライター/ジャーナリスト。青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、米国系企業、フィンランド系企業を経て、2004年よりフィンランドへ移住。『Love!北欧』『FQ』などの雑誌・ムックの他、『PUNTA』、『WEBRONZA』『ハフィントンポスト』などのWEBサイトにも多数寄稿。共著に『ニッポンの評判』、『お手本の国のウソ』(新潮社)、『住んでみてわかった本当のフィンランド』などがある。※Gakken Interior Mook『北欧ヴィンテージとセンスよく暮らす』では北欧3か国からの取材執筆を担当。好評発売中です!