第2回 空気の変化 山西省・大同 その2

 列車で大同に着くと、日本語を話す中国人ガイドと車が迎えに来ていた。もう吐く息が白い。夫が「なつかしいな、石炭ストーブのにおい」と言うので、改めて空気を吸うと確かに鼻をつくにおいがする。大同は中国有数の石炭の町で、街のあ...
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列車で大同に着くと、日本語を話す中国人ガイドと車が迎えに来ていた。もう吐く息が白い。夫が「なつかしいな、石炭ストーブのにおい」と言うので、改めて空気を吸うと確かに鼻をつくにおいがする。大同は中国有数の石炭の町で、街のあちこちに石炭を積み上げた「山」がある。

まずは世界遺産に登録されている雲岡石窟を見に行きたい。雲岡石窟が掘られたのは、まだ日本に仏教が伝来していない西暦460年頃からの約50年間で、その頃大同は「平城」という北魏の都だった。私たちが行った時は国慶節の休暇ということもあり、右も左も観光客であふれかえっていた。45ある石窟をすべて見ることなどはとてもできないが、壁面から天井までいっぱいに仏像や天女などが掘られ、彩色も施されている。石窟の入り口から光が差し込むと、仏像に自然のスポットライトが当たっているようで幻想的だ。しかしその仏像たちも近隣に積まれた石炭の粉を浴びてかなり汚れるらしい。今も顔の汚れた仏像があるが、石窟の中が真っ黒だった時代もあったとガイドが話してくれた。一番奥には高さ15メートル以上ありそうな大仏像が外を向いて座っていて、岩壁と空が一体となる大仏の姿には、大きな広がりを感じる。

石窟や仏像を見ても5歳児にはあまり響くものはないだろうが、それにしても息子は不機嫌なのだ。咳をしていてどうやら風邪をひいた様子。

雲岡石窟の巨大な石仏     石窟の中

雲岡石窟の巨大な石仏                         石窟の中

もう一つ大同の名所といえば懸空寺だ。垂直に切り立った岩壁の中ほどの少し出っ張ったところにうまく引っかかるように建てられている。ガイドは長い柱で補強しているから安全だとアピールするけど、遠目から見るとその柱も割り箸のようで、中に入るのは恐ろしい。懸空寺の造営は雲岡石窟と同時期の5世紀末、どうして、どうやってこんな崖のわずかな場所に寺を建てたのだろうと想像が頭をめぐる。高いところが好きな息子は冒険気分になったのか意気揚々と、「早く中に入ろう」と言うが、私は遠くから眺めるだけで十分だった。客が多いため一度に入る人数を制限していたので、結局入ることにした。それでも上がるたびにミシミシと音がして、中は人とすれちがえるかどうかの狭さで、ベランダの柵が低いのも怖い。確かに崖の中腹に引っかかっているようなこの寺にいるだけで深呼吸もできず、十分修行になった。

懸空寺

懸空寺

車に乗り込むとガイドが、「さあ、長城へ行きましょう」と誘ってくれた。長城なら私たちが来た北京の郊外にもあり珍しいものではない。なぜ長城へ連れていくのだろう。車を北へと走らせ、舗装道路から悪路に入り、ガタガタ揺られて、到着したところは、原っぱだった。ひんやりした風がきもちいい。草原の中に土が盛り上がっているところがあり、それが長城だった。そこにいるのは私たちだけで、観光名所でもなんでもない。むしろそれが新鮮だった。

明代の未修復の長城

明代の未修復の長城

ガイドによれば、この場所は山西省と内モンゴル自治区の境で、長城は明代(1368年 – 1644年)につくられ、それが未修復のまま残っている貴重なものらしい。北京の郊外にあるようないわゆる万里の長城は、山の尾根伝いに伸びたレンガ造りで階段があり、きれいに補修されているが、ここは土を盛り固めただけの堤防の残骸のようなもので、柵もなく、自由に登ることができる。今は長城の向こうも同じ国だが、昔はここから先は蒙古で、国の境だったことから、過去に何度も戦があったのだろう、そんな様子が頭の中から膨らんでくる。長城のそばには城壁のある小さな村があり、明代からこの境を守っていた兵士たちの末裔が今も村に住んでいる。

村の入口

村の入口

息子は草原に降りた瞬間からなぜか興奮状態になり、「ヒャッホー!」と長城を駆け回り始めた。もしかしたら夫か私の先祖に兵士や蒙古がいて、血が騒いだのか?ともかく息子はしばらく広い草原を気持よさそうに走っていた。

長城を駆けまわる

長城を駆けまわる

風邪かと思った息子の咳は、室内に入ればピタリと止まっていることにホテルに戻って気がついた。やはり大同の空気は石炭の粉が飛んでいるのだろう。スモッグに覆われた北京の空でさえも少し恋しくなってしまった。スープの入った本場の温かい刀削麺が、乾いた喉に嬉しい一杯だった。

刀削麺

刀削麺

注: 雲岡石窟の「岡」は「崗」と表記されることもあるが、中国では一般的に「岡」が使われている。

≪林 秀代(はやし ひでよ)/プロフィール≫

2005年から2008年まで中国・北京在住。現在神戸在住。フリーライター。北京滞在時より中国の生活や育児、北京の街や中国の旅を題材にしたエッセイや記事を書いている。帰国後は神戸の華僑からの聞き書きも始めている。‘99年生まれの男児の母。