第1回 出会い

世界には多くの国と地域と町があるが、ひとつの場所に落ち着いて暮らす人もいれば、あちこち移動しながら生きていく人もいる。私はどうやら「動く星」を抱えているらしい。ある時は自分の意思で、ある時は希望に反して、ある時は家族一緒...
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長崎夜景

世界には多くの国と地域と町があるが、ひとつの場所に落ち着いて暮らす人もいれば、あちこち移動しながら生きていく人もいる。私はどうやら「動く星」を抱えているらしい。ある時は自分の意思で、ある時は希望に反して、ある時は家族一緒に、ある時は単独で、これまでも数ヶ国数都市を移動してきた。言語をいくつか覚え、思い出の地もたくさんできたが、すぐまた動くことになり、結局落ち着かない。今回も新しいご縁が突然やってきた。長崎である。東京と長崎を2年ほど往復生活することになったのだ。

長崎は有名な観光地だが、学生時代に旅の途中に寄っただけ、ほぼ未知であった。日本国内とはいえ東京からは西の果て。距離なら以前住んでいた韓国からの方が近い。秋も深まったある日、子連れで慌ただしく飛行機に乗った。雲海に浮かぶ富士山を超え、本州を過ぎ、棚田のある半島と散らばる島々を浮かべた青い海に日が沈み、やがて月が出て、光輝く世界有数の夜景が広がるのを眺めながら長崎に着陸した。空から見ただけなのに、本当に美しいところだと感じた。

空港には葉加瀬太郎の「長崎夜曲」と「でんでらりゅう」のオルゴール音が流れていてなごむ。大勢の観光客が扉を開けて外の闇に吸い込まれていくのを見つつ、新しい土地に着いたばかりの高揚感とけだるさに包まれた。この空港は海に浮かぶ島にあり、橋を渡ると対岸に天正遣欧少年使節の像がある。車だと一瞬で通り過ぎてしまうが、ここで彼らの存在は語り継がれている。ほどなく私も長崎のキリスト教関連の人物と遺構に興味を持つようになるのだが、当初は「誰だったかなあ」と思うほどの無知であった。

長崎港このように予備知識は乏しかったが、私の長崎への関心は高まっていく。キリスト教との深いつながり、布教の最盛期から禁教下の弾圧と殉教、明治の信徒発見と教会の発展について。鎖国下でオランダを初めヨーロッパ、中国大陸、朝鮮半島、東南アジアなど海外と接点があったこと。海と港に恵まれ、島の数は日本最多、海岸線は北海道に次ぐ全国2位、県境のひとつを除き全市町村が海に面していること。また、原爆により人類史上稀にみる惨禍を経験した被爆地であること。

他にもまだ知らないことがたくさんある。上陸したばかりの長崎について、もっと深く知りたいと思った。移動暮らしに慣れた自分が初対面からこんなにも魅かれる所というのは不思議なのだが、長崎に縁ができたのは何か意味があるに違いないとさえ感じた。最初に覚えた長崎弁は「さるく」、ぶらぶら見て歩くという意味である。私の気持ちにこれほどぴったりと当てはまる言葉はない。「長崎ば、さるいてみんね」(長崎をあちこち見てみよう)と独り心に誓ったのである。

天正遣欧少年使節顕彰之像(参考)
http://oratio.jp/p_resource/tensyoukenousyounensisetuzou

http://www.omuranavi.jp/spot/detail.html?id=1099

えふなおこ(Naoko F)/プロフィール
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。得意な分野は比較文化、比較言語、ミックスルーツ、転勤族、国際スポーツ、契約書全般。移動の多い生活をしながら、育児と仕事の両立に奮闘中。