第6回  オタクサ

梅雨になると長崎に紫陽花(アジサイ)が咲き始める。アジサイの別名「オタクサ」をご存じだろうか。名付け親は1823年に来日した医師シーボルト。植物学者でもあり、自分の愛した女性「おタキさん」にちなんでアジサイの学名をHyd...
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梅雨になると長崎に紫陽花(アジサイ)が咲き始める。アジサイの別名「オタクサ」をご存じだろうか。名付け親は1823年に来日した医師シーボルト。植物学者でもあり、自分の愛した女性「おタキさん」にちなんでアジサイの学名をHydrangea otaksa(ハイドランゲア・オタクサ)とした。現在この学名は使われていないが、長崎でオタクサの名はよく知られ、アジサイは長崎市の花である。毎年5月下旬~6月に市内各所でアジサイを楽しむ「ながさき紫陽花まつり」が開かれる。

シーボルトはドイツ人だが、出島のオランダ商館医として来日。彼のオランダ語に癖があり、阿蘭陀通詞(おらんだつうじ、長崎の地役人で日蘭通訳専門)に怪しまれるが、「山地出身で訛っている」と説明、これが「山オランダ人」と解釈され、無事入国する。蘭学のエリートで鎖国中も高い語学力を有した阿蘭陀通詞だが地理には疎く、オランダは低地で山がないことを知らなかったのだろう。


出島の模型

出島は「国立監獄」と言われるほど狭く(約3,900坪で日本武道館位)、幕府の命で長崎奉行に厳しく監視され、商館員は自由に外出できなかったが、シーボルトはその技術を認められ、診療で外出し、鳴滝(なるたき)に塾を開いて医師や学者に教えた。商館長が将軍謁見のため江戸参府する際にも随行し、日本について情報収集をしている。

現在の出島

現在の出島は陸続きで路面電車で簡単に行ける。歴史や雰囲気を伝える施設や資料が見学できて楽しめるが、昔の絵にある扇形の島ではない。1636年にポルトガル人を移住させ、禁教でポルトガル人追放後は平戸からオランダ商館を移し、鎖国中200年以上海外貿易の拠点となった出島は、役目を終えて明治に埋め立てられてしまった。出島を海に浮かぶ姿に戻す計画が現在進行中で、時間はかかるが将来とても楽しみである。

おタキさんは本名を楠本滝(くすもとたき)、源氏名を「其扇」(そのぎ)という遊女で、出島でシーボルトに会ったとか、外出診療のシーボルトに見初められ、遊女として出島に入ったなど諸説ある。規則で遊女以外の女性は出島に入れず、単身のオランダ商館員はその多くが遊女を事実上の妻にした。シーボルトもタキと暮らし、女児イネをもうける。しかし日本地図を所持していたため国外追放となり(「シーボルト事件」)、タキ、イネとも離別する。

シーボルト記念館

シーボルトが開いた鳴滝塾の跡地はシーボルト宅跡とされ、シーボルトの像があり、周囲にアジサイがたくさん植えられている。隣接してシーボルト記念館が建っている。シーボルトにまつわる多くの資料が展示されており、中でもタキが自分とイネの絵姿を入れて作らせ、シーボルトに贈った螺鈿合子(らでんごうす)が美しい。今年の春先から最近まで「シーボルトとオタクサ」の企画展も開かれていた。

別離から約30年、日本は開国し、1859年に再来日したシーボルトは幕府顧問になった。タキ、イネとも再会するが、既婚のシーボルトは長男を帯同し、タキも人妻だったので、再会した2人が結ばれることはなかった。娘のイネは、やがて女医になる。作家の吉村昭の小説『ふぉん・しいほるとの娘』には、イネが外見で差別を受け、望まぬ妊娠で未婚の母となり、多くの苦労を経験したと書かれているが創作も多く、実際のイネは来日した異母弟アレキサンデルとハインリッヒに厚遇され、弟たちの助けで産科院を開いたり、ハインリッヒとその妻である日本女性の岩本花と共に平穏に暮らしたそうである。

シーボルトの一族については資料が多数あり、系譜図を見るとイネ、ハインリッヒの子孫にあたる方が日本におられるし、2016年はシーボルト没後150年にあたり、「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」という企画展が今夏から長崎を含む各地を巡回する。

イネとタキは長崎の晧臺寺(こうたいじ)に墓所があり、さるくには幣振坂(へいふりざか)を上る。きつい坂で、秋の大祭「長崎くんち」で有名な諏訪神社の大鳥居にする石材を運ぶとき、御幣(ごへい)を振って人夫を励ましたのが名前の由来。がくがくと脚が震える急な石段の連続だが、イネとタキの墓所にたどり着くと、2人の詳しい説明があり、見下ろす街の眺めは清々しく、さるいて良かったばい、と思ったものである。

(参考)
シーボルトシーボルトの生涯ながさき紫陽花まつり出島楠本イネシーボルト宅跡シーボルト記念館日本シーボルト協会「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」 晧臺寺(こうたいじ)幣振坂(へいふりざか)

えふなおこ(Naoko F)/プロフィール
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。