第34回 続メキシコ無情

 
「昨日、ベニート・フアレス空港で大量のコカインが見つかりました」
 メキシコシティの中心にある定宿でテレビを見ながら朝ごはんを食べていた。化粧のどぎつい女性キャスターに続いて、白い小袋がぎっしりつまったスーツケースが...
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1848年に米墨戦争によって決まったエル・パソ-シウダー・フアレス間の国境

「昨日、ベニート・フアレス空港で大量のコカインが見つかりました」
メキシコシティの中心にある定宿でテレビを見ながら朝ごはんを食べていた。化粧のどぎつい女性キャスターに続いて、白い小袋がぎっしりつまったスーツケースが映った。

いくらメキシコとはいえ、このニュースのように国際空港に堂々と麻薬を持ちこむまぬけはそうそういない。けれど、マリファナのにおいがついたバッグくらいなら使っている人がけっこういるのだろう。麻薬探知犬が吠えているのを空港で何度か見たことがある。

今回もいつもと同じように賄賂を払わされて空港を出てきた。メキシコの関税は16%のはずだが請求書はだいだいその2倍になっている。メキシコ人の荷受人によるとその余剰分は「お役人のためのお金」なのだそうだ。しかもカード払いできるアンダーテーブルだ。しかし、その程度ですむ公務員の汚職なんぞは、メキシコではまだかわいいものだ。

2012年にガイドブックの仕事でメキシコ湾に面したベラクルスという港町に行った。その前年、ベラクルスでは麻薬カルテルとの癒着を断つため、警官はもちろん事務職員に至るまで、警察に勤務する者1000人全員が解雇されていた。当時、警察に代わって軍が町を警備していた。防弾チョッキ着用、ライフル携帯は当たり前。さらに機関銃と催涙弾で武装した軍用車が巡回していた。重装備の彼らが戦っているのは非善良なる自国民である。

シュワルツェネッガーやスタローンが映画の中で撃ちまくっている、長い帯状の弾薬をぶら下げたごつい機関銃をリアルで見たのは、ベラクルスとシウダー・フアレスだけだ。メキシコでは空港よりもはるかに港と国境が麻薬最前線なのである。

悪名高きシウダー・フアレスはアメリカとの国境の町だ。幸いにしてハンドキャリーとして行くのは、麻薬カルテルがあるシウダー・フアレスではなく、アメリカ側のエル・パソである。そこから先はメキシコ人の荷受人が陸路でブツを運ぶことになる。

国境を流れるリオ・グランデ川に架かる橋を渡って、一度だけシウダー・フアレスに行ったことがある。旅慣れた者にとっては、行ってはいけない時間に、行ってはいけない場所があるというだけの、ごく普通のメキシコの町だった。エル・パソにいるかぎりはシウダー・フアレスの治安の悪さは対岸の火事だ。火の粉をかぶってまで行くほどの見どころもない。

アメリカからメキシコへの越境は72時間以内の滞在なら入国手続きをする必要はない。アメリカ再入国後にあらぬ疑いがかかるのを防ぐためにも、うかつにメキシコ入国スタンプは押さない方が賢明だ。まだ経験が浅いスタッフが、スタンプラリー感覚で初入国記念にスタンプをもらってしまい、アメリカ出国時、つまり帰国便への搭乗時に止められたという話を聞いた。

スペインの植民地だったメキシコはカトリック教国だが、バチカンが認めるわけがない守護聖人がいる。その名もヘスス・マルベルデ。マフィアが信仰する麻薬聖人である。マルベルデは現在メキシコ最大のカルテルがあるシナロアで生まれた1800年代の悪党だ。日本の鼠小僧は窃盗専門の義賊だが、マルベルデは盗みのみならず麻薬で儲けた金も貧しい人に分け与えたり、教会に寄付したりしたそうだ。浄財とは究極のマネーロンダリングと見つけたり。ヘスス・マルベルデが天国の扉を金でこじ開けたのか、地獄の沙汰も金で乗り切ったのかは、それこそ神のみぞ知るである。


片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトで主催する旅イベント「旅人の夜」が7年目を迎える。ロックバンド、神聖かまってちゃんの大ファン。2016年現在、50カ国を歴訪。処女作『棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

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