第22回 最果ての村の女職人〜レース編み「エンカヘ」に重ねる波乱万丈人生-その2-

今回の旅には、レース編み職人であるパティのお母さんに会うだけではなく、車に対する精神的なハンディを克服するという、私にとっての大きな目標がありました。 もう「若さ」を通り越したと、自分では認めていなくても他人の目には明ら...
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今回の旅には、レース編み職人であるパティのお母さんに会うだけではなく、車に対する精神的なハンディを克服するという、私にとっての大きな目標がありました。 もう「若さ」を通り越したと、自分では認めていなくても他人の目には明らかな年齢なのに、免許を取ったのはつい最近。3時間以上の運転は、まだしたこともなく、7時間に及ぶ長い旅を一人で運転しきれるのかどうか、精神的な葛藤ばかりが自分を挑発してきます。頑張って免許を取ったのは、会いたい人のところや、行きたい場所に、今すぐ車を飛ばして行ける自分になりたかったからでしょう? 仕事も飛躍させたかったからでしょう? 怖気てどうするの?と。 憂鬱になり、断るつもりでパティに電話を入れれば、「お母さんが楽しみしているの!」と明るい声で話され、また別の時に「金欠だから今回はちょっと」と言い訳をつけて切り出せば「お金なら心配しないで」と、常にポジティブモードな返事ではねのけられてしまうので、答えが出せないまま、とうとう当日の朝を迎えてしまいました。 7時間超え初挑戦への緊張の裏返しで、待ち合わせの場所に15分遅れて到着した私を見つけると、重い荷物を幾つも用意して約束のベンチに座っていた彼女は、それでも嬉しそうに車に乗り込んでくれました。なるようになれ、事故だけはしまいと腹を括り、トレドを後にするほかありませんでした。 当初かかると言われていた7時間をゆうに超えた、約12時間後の夜10時ごろのこと。

カマリーニャスの港。小さくて静か。

そこから入ってと言われた漁村では、築港の裏は細い道が入りくむ坂道が続きました。「はい、右」、「そこを左」と言われるままにハンドルを切って行くと、遠くの街灯の下でこちらに手を振る子連れの数人が、照らし出されているではありませんか。彼らこそ、私たちの到着を待っていたパティの家族なのです。私の運転で、ついにパティの家に到着したのです。

パティと家族。左端で白い犬を抱いている女性がパティ。その横が母アンパロ さん。そして姉マリッサさんの一家。

「無事に着いて何より」と、駆け寄ってくれたのは、想像とは違って小柄な、パティのお母さん、アンパロさんでした。「ありがとう」と私に向けた控えめな笑顔は、短めの黒い髪と濃い眉が印象的で 、トレドで出会うスペイン人とはどこか違う北国独特の雰囲気を湛えていました。 クシュクシュと耳に響く、 耳慣れないガリシア語のせいか、トレドと同じ国にいることが感覚的にまだ理解できないでいる私の前で、キッチンのテーブルを囲む家族とパティの会話が止まりません。クシュクシュっと響くまじないのような言葉の合間に、「夕ご飯どうする?」「お腹すいたでしょ?」「明日、何するの?」と、はっきりわかる言葉が混じります。ガリシア語にスペイン語を混ぜて話すところが、かつて住んでいた台湾で出会った人々の、台湾語に北京語を混ぜて使うところとよく似ていて 、デジャビュのようにも感じられます。 パティがガリシア語で、おそらく、私たちの道中を一部始終、 説明していたのでしょう。家族が笑ったり、頷いたり、私をチラッと見たりするので、 「なかなか大変でした。慣れないから、長旅は」と私が肩をすくめると、 「明日はゆっくり休んで、こっちにいる間に、サンチャゴ・デ・コンポステーラ(800kmも続く巡礼街道の中心地として有名な町)に行ってらっしゃいよ」

台所の戸棚の食器の下に敷かれている、アンパロさんの編んだ白いレース。

と、姉のマリッサさんが勧めてくれました。 賑やかな会話もひと段落ついた頃、パティの家の台所の風景が、ようやく私の目に馴染んできました。横に広く長い鋳鉄の黒いガス台の下は、オーブンを兼ねた暖炉になっていて、薪のくべ口には灰が少し溢れています。その向かい側には、大型冷蔵庫とガラス戸棚が並び、その横の大きな鳥かごの中では、止まり木の上で、水色と白の羽根を持つ鸚鵡(おうむ)が、剥製のように静かにしていました。 北国の大家族が長年過ごしてきた生活の匂いがし、ガラス戸棚の各段には、食器の下にレース編みの布が敷かれているのが目に入りました。 「あのレースの敷きものは、お母さんが作ったの?」 「もちろんよ! あ、そうだ、ちょっとこっちの部屋に来て!」

額に飾られていた繊細なレース編みも、アンパロさんの作品。

パティに促されるまま椅子を立って、居間に行くと、レース編みの作品を収めた額がいくつか飾られていました。芸術として大切にされていることがよくわかります。 「そんなにレース編みが好きなの?」と、マリッサさん。

現代的で大胆なデザインとなる、パティの姉マリッサさんの作品、「ツバ メ」。

「タエコは、レース編みのこと、記事にしたいんだって」とパティ。 「へえ。この村にレース編み専門店があって、そこに私も作品を卸しているから、クリスマスが終わったら連れて行ってあげる」 「ええ、本当!? なんてツイテルの、私!」 講師になれる腕前なのに、講師にはならず、主婦として家事の合間にレースを編んでいるというマリッサさんの紹介なら、きっと素晴らしい発見ができるに違いありません。 「明日、エンカヘをやって見せてあげようか」と、お母さんもまた、嬉しそうに反応してくれました。 「レース編み」というキーワードで、女たちがワーッと盛り上がり、会話があれこれ発展する勢いは、さすがエンカへのメッカと言われるだけのことはあります。不安に負けず長距離の運転に挑戦した甲斐があったと、小さくても夢を一つ達成した喜びが湧き、充実した気持ちで眠りにつくことができました。 深い眠りから気持ち良く覚めた朝、窓から遠くに海が見える廊下を通ってキッチンに下りて行くと、テーブルの上にデンと置かれている、丸く巨大なカステラが目に飛び込んできました。「マリッサが作って持ってきてくれたんだよ」とアンパロさんが言う、その丸く大きなカステラは甘く、ガリシア産の濃い牛乳で淹れたカフェオレとの相性はピッタリです。 「うちの卵は、庭の雌鶏のなんだよ 」と教えてもらっていると、今度は窓の外から、若い女性の大きな呼び声が聞こえてきました。何かと思って窓辺まで見に行くと、薪で焼いたパンを売りに来るミニバンの運転手さんでした。坂道に目をやれば、どの家の庭にも、石や木でできた小型の倉があります。その年に収穫されたジャガイモ、玉ねぎ、小麦や大麦を保管するためにある、この土地の風習だと言います。 どこか心の温まる、絵に描いたような田舎暮らしの中で、この村カマリーニャスの人々は、きっと、長い付き合いのある隣近所や昔ながらのコミュニティを今も大事にし、周りとうまくやっていく知恵を使いながら肩を寄せ合って生きてきたのでしょう。 そんなことを想像しながら、朝日に照らされているガラス戸棚の中のアンパロさんの手作りレースに目を移すと、レースもまた私に「その通りだよ、レース編みはこの村に生きてきた女性の心なんだよ」と、話しかけてくるではありませんか。 「え?」

私に魔法の言葉を囁いたオウム君。常にミステリアスだった。

我に返った途端、声の主は大きな鳥かごの中の鸚鵡だったことに気がつきました。魔法にかけられたような一瞬でした。 河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール》 ライター、フォトグラファー、コーディネーター、起業家、日本語教師、大学講師、スペイン語—中国語通訳。西中英仏語OK。大学卒業当初は、今後、アジアのどこかで英語と中国語を使う人生を送るだろうと想像していたのに、ヨーロッパで仕事する人生へと展開し、今に至る。 最近は奄美大島・鹿児島、長崎、熊本と隠れキリシタンに縁がある。