第46回 雲の上は晴天なり

夏のある朝、目を覚ますと体が動かない。金縛りのようにまったく身動きがとれない。幸い意識ははっきりしていた。体が働かないぶん、頭はよく回る。すぐに前日に手足がつっていたことに思い至った。脱水症状である。東南アジアに寝たきり...
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羽田空港離陸直後の眼下に広がる風景

夏のある朝、目を覚ますと体が動かない。金縛りのようにまったく身動きがとれない。幸い意識ははっきりしていた。体が働かないぶん、頭はよく回る。すぐに前日に手足がつっていたことに思い至った。脱水症状である。東南アジアに寝たきり老人がいないのは、自力で水が飲めなくなったら脱水を起こして死んでしまうからだ。

海外で撃たれるでもなく、刺されるでもなく、テロに巻きこまれるでもなく、このまま都内のアパートで死ぬのか。我ながらあっけない、バカみたいな死に方だな。手も足も出ない丸太のようにごろんと横たわったまま思った。おそらく普通の人ならそのまま死んでいる。特に酔っぱらいはイチコロだろう。でも、肝硬変の一歩手前で酒は一切止めたのだ。

東日本大震災の翌年、横になると息ができなくて眠れなくなった。耳鼻科に行ったが異常はない。今思えばおそらく心因性の過呼吸であろう。疲れ果てれば眠れるので、夜の町を毎晩長い時間ほっつき歩いた。息苦しさを忘れるほどくたびれてやっと明け方の薄明りの中で眠りに落ちる。

そんな日々の果てに台所の包丁で手首を切りつけようとした。勢いよく包丁を振り上げたとき、「本当に死にたいなら頸動脈を切れ」と耳元で声がした。包丁を手から落として床に崩れ落ちた。あれは間違いなく私だった。もう一人の自分の声だった。

日本にいる私は寸止めセルフネグレクトだ。どうしても一人暮らしの部屋を片づけられない。自分一人が食べるのに手の込んだ料理なんてつくろうとはとても思えない。人って自分のためだけにはなにもできないものなのだ。足の踏み場もない部屋からなんとか這い出して、仕事をするために、誰かと会うために、風呂に入って清潔な服に着替えて外に出かける。

せめて虫が湧かないようにゴミを捨て、布団を干し、洗濯をしてきた。他人を不快にさせないようにかろうじて身づくろいをしてきた。それなのに、こんな掃き溜めで孤独死したら、あっというまに私の死体に虫が湧いてしまうだろう。

こんなところで死ぬわけにはいかない。死ぬのは全然かまわないのだが、さぞかし他人から憐れまれるだろう、こんなみじめな死に方はしたくない。脱水症状に生存本能が打ち勝った。初めて起動したガンダムみたいにぎくしゃくと立ち上がって水を飲み、全身をきしませながら水シャワーを浴びて体を冷やした。たまたま冷蔵庫に飲む点滴、甘酒の買い置きがあった。その日は日がな一日、ちびちび甘酒を飲みながら安静に寝ていた。

暗がりでふと目覚めて自分がどこにいるのかわからないことがよくある。いつも慢性的な時差ボケなので、どこの国にいても昼夜関係なく眠くなったら眠る。夜明け前に目を覚ますと暗くてなにも見えない。おまけに出張で使うようなホテルは世界中どこでも似たり寄ったりで代わり映えしない。アメリカでもヨーロッパでもアジアでもアフリカでも、日本でさえも独りでいることに変わりはないのだ。

日本にいるときはまずテレビは見ない。必要な情報がなにも得られないからだ。日本ではテレビをつけたところで視聴者にCMを見せるために番組があるのだという根本的な事実を再確認するだけだ。唯一CMのない局は強制的に受信料を徴収して、政府寄りの情報を押しつけてくる。テレビに出ればよほど金になるのだろう。「テレビの音は全部豚の鳴き声だ」と言っておきながら村上龍がテレビに出ている。

世界一発行部数が多い新聞は、人民日報でもなければ、ニューヨーク・タイムズでもない。読売、朝日、毎日がトップ3を占めている。こんなに情報統制しやすい国は、北朝鮮と日本くらいだ。自分たちが世界中から嗤われていることにさえ気づいていない。

いずれにせよ、極東の島国に住む人々は、日々の滅私奉公と目先のことだけで必死なので、なにごとにつけても見ざる聞かざる言わざるを貫いている。自分のことを奴隷扱いする為政者を性懲りもなく再選し続け、自ら貧困や過労死を招いている。飛んで火に入る夏の虫とはまさに日本人のことだ。

世界のどこかで眠れない夜はテレビをつける。暗がりの中に映し出される我が国の緩慢な窮状や他国の急激な惨状をベッドの上で眺める。なんの落ち度もない人々が死んでいく。戦争はなくならない。正義は負ける。正直者はバカを見る。努力は報われない。才能は認められない。苦労は水の泡になる。今生きているこの世こそが地獄ではないのか? この人生こそが天罰ではないのか? 他の乗客乗員のことはこれっぽちも考えずに、これから私が乗る飛行機がいっそ落ちればいいのにと心ならずも呪いの言葉を吐く。

どんなに長くとも明けない夜はない。時間だけはどんな人にも平等である。短く感じるか、長く感じるかは、ただその人の精神状態の如何による。雲の下にあるこの世では、雨も降れば、槍も降る。しかし、高度1万メートル、成層圏と対流圏の境目は、もはや神の領域に限りなく近い。地上がどれだけ悪天候であってもいったん雲の上まで突き抜けてしまえば、そこがいつ何時も快晴であることだけは確かだ。

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトでの旅イベント「旅人の夜」主催。2017年現在、50カ国を歴訪。オフィス北野贔屓のランジャタイ推し。処女作『棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

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