今回で最後になる「インターナショナル・スクールINラオス」だが、「ラオスならでは」を書くのは正直簡単ではなかった。インターナショナル・スクール(以下インター)に通っているときは、ラオスの気候、食事、言葉は感じられても、本当のラオスはそこにはなかったような気がするのだ。
インターでは、「地域の貧しい学校へ寄付しよう!」と、贈り物を周囲に置くための木を準備し、文房具をきれいにラッピングして、子供たちがその周りに並べたり、事務室にお金を包んで渡し、その旨を書いた紙を木に飾ったり、という行事があった。それで、ラオスの貧困を多少認識できたかもしれないが、ラッピングしたものをみんなが見える場所に集めて飾るというところが、「施してあげている」感じがして、好きではなかった。インターナショナル・デーでは、各国の衣装を着て、各国の食事を持ち寄り、各国のダンスや芸能を披露したが、そこでもラオスは数ある国の一つでしかなかった。はたして、私や子供はラオスに住んで本当のラオスを知ることできたのだろうか?
子供たちにとっては、インターの行事で田舎の家に泊まったこと、小学校を建てるためにシャベルで穴掘りをしたこと、不発弾処理をすすめるNGOを訪ねたことなどは、ラオスの現実を知る貴重な経験だったといえよう。ただ、高価なプレゼントを買って店を出たところで親子連れのホームレスに物乞いされたり、古くなった服を捨てようとしたら、「いらないならうちの子にください」と使用人が持っていくのを見たりすると、子供はどう感じているだろうかと複雑な気持ちになった。
貧しいラオスに住んで、リッチなイメージのあるインターに通うということは、いろんな課題が生まれる。インターに通うだけでお金持ちになったと子供に勘違いさせないようにするにはどうすればいいか。子供がメイドを顎で使わないようにするにはどう指導すればよいか。屋台の麺が約50円なのに、おやつの外国製の小さなチョコがひとつ数百円もするような生活を考えると、インターで学びながらラオスという発展途上国を受け入れるということは、子供を混乱させていたかもしれない。
それでも、大きな問題もなく3年半を過ごせたのは、子供たちの柔軟性と、ラオスという国の、他者を受け入れるおおらかな土地柄のおかげ。そして、何でも「ぼーぺんにゃん(気にするな、大丈夫だ、問題ない、の意。)」で済ませてくれた、ラオス人のメイド、ドライバー、ガードマンの寛容さのおかげだろう。そして、私自身も本当のラオスを知りえたかは怪しいけれど、きっと”ラオス”は、「ぼーぺんにゃん」と、許してくれるのではないかと思っている。
《村岡桂子/プロフィール》
2007年から2010年までラオス滞在。2008年より、ウェブサイトや雑誌に寄稿。現在は山口県在住。小学校非常勤講師、翻訳家、フリーランスライター。