海に囲まれた国、ニュージーランドではザトウクジラ、セミクジラ、マッコウクジラといったクジラを目にすることができる。クジラには、年間通して近海に生息するもの、亜熱帯の繁殖海域とえさが豊富な南極海の間を行き来するものがおり、観光ツアーの目玉ともなっている。この国では、クジラは絶滅に瀕しているからという理由からだけでなく、一般的に私たち人間同様、頭の良い哺乳類と考えられ、大切にされている。
近海を遊泳するクジラの中には浜辺に打ち上げられるものも出てくる。なぜこんなことが起こるかは、諸説あるものの、いまだに確固とした原因はわかっていない。ニュージーランド国内ではこうしたクジラの報告が年間平均85件もあり、中には総数1,000頭にも及ぶクジラが座礁した記録も残っている。
浜にクジラが打ち上げられることがある国のごたぶんにもれず、ニュージーランドでも、老若男女を問わず24時間体制で、海水に浸したシーツを体にかけるなどし、体を冷やしてやり、再び潮が満ちてきたら、海に戻す努力が行われる。数時間にわたり水分を保持できる、ソフトコンタクトレンズの原料であるポリアクリルアマイドを用いた「ハイドレーション・ブランケット」なるものも、発明されている。しかし、自然の摂理とは時には非情なもので、死んでしまうものも出てきて、それらはその浜辺に埋められることになる。
ニュージーランドでは、死んでしまったクジラは単に「埋める」のではなく、「埋葬」する。浜に座礁して死んだクジラに対しては、先住民マオリ独特のお祈りが唱えられ、さらに埋葬場所が清められる。埋葬後、そこはけがされるべきではない場所となり、フェンスで囲われる。その場に碑が建てられることもある。
こんな風に「埋葬」が行われるのには、マオリの考え方が大きく影響している。彼らにとって、クジラはひとりの「人間」と同じなのだ。マオリは伝説の地、ハワイキからこの地まで7艘のカヌーに乗りやってきたとされている。そのうちのカヌーのひとつ、タキティムは嵐の中、クジラの群れに導かれて、またタイヌイは航行の最中、海の精であるクジラが、高波を抑えてくれたために、無事ニュージーランドまでたどり着くことができたそうだ。
またクジラに乗ったマオリ人の話も数多く残っている。少年パイケアが、共に釣りに出た兄弟のルアタプにおぼれさせられそうになったところを、クジラが背に乗せてくれ、ニュージーランドまで送り届けてくれたという伝説は特に有名だ。これは、映画『クジラの島の少女』のベースとなった伝説でもある。
このように、安全な場所であるニュージーランドまで連れてきてくれたクジラは、何かあった際に人々を守ってくれると信じられている。マオリの伝統工芸である、ヒスイやボーン(骨)を材料としたカービングにも、クジラの尾のモチーフが見られ、「守護」、「力強さ」を示すものとして、人々はネックレスにし、大切に身につけている。
こんな話も残っている。1970年に北島のギズボーンにある、ワイヌイ・ビーチで60頭近くのクジラが浜に打ち上げられた際、地元のマオリの人々は「私たち人間を何らかの災難から守るために、こんなことが起きたのだ」と考えたそうだ。折しも英国のエリザベス二世がニュージーランドを訪れていた時だった。
実は前回、1953~1954年にかけて女王が歴訪した際、北島の中央部、ワイオウル近郊で国内最多の犠牲者を出した列車事故、「タンギワイ・レイルウェイ・ディザスター」が発生。285人の乗客のうち151人が亡くなった。それを踏まえて、ギズボーンの地元マオリたちは、女王の訪問と時を同じくして、前回のような惨事が起きるところを、クジラたちが自らの命を投げ打って、助けてくれたのだと考えたのだ。
ワイヌイ・ビーチのクジラの墓は一辺の長さ150メートル、10メートルの幅を持つ。そこには、地元小学校の子どもたちの呼びかけに応じてつくられた碑が建っている。2010年にはその40周年を記念して、当時の模様を写したビデオが上映された。また劣化に伴い、新しい碑を建てることも検討されているという。浜に打ち上げられて死んだクジラは、歴史の一部となり、人々の心に今も残っている。
《クローディアー真理/プロフィール》
フリーランスライター。1998年よりニュージーランド在住。文化、子育て・教育、環境、ビジネスを中心に、現在執筆活動を行う。頑固なまでに原生動物を守ろうとする姿勢に加え、英国の流れをくみ、ペットや家畜の保護や福祉も盛んなこの国では、動物関連のエピソードには事欠かない。もともと無類の動物好きのアンテナには、そんなニュースがひっかかりっぱなし!