第1回 古民家を新居に大改装

使えるものは大切にいつまでも使うことが大好きなスウェーデンの人々。我が家も例外にもれず、夫の母の母の母のお父さん、つまり夫にとってはひいひいおじいさんが1890年代に建て、夫の母もそこで生まれたという、古い家を譲り受け、私たちの新居として改装することになった。それも自分たちで……。この国は地震もほぼなく、そして全体的に乾燥した気候なので家を食べる害虫も少ない。そのため100年以上の木造家屋でも建物のベースは十分住むに耐えうる状況を保っている場合が多く、こういった相続も可能というわけなのだ。
1915年の我が家。家の前に立つのは当時のオーナー夫妻
1915年の我が家。家の前に立つのは当時のオーナー夫妻

日本なら新築は言うまでもなく改装でも床暖房、電気配線、水道の配管、壁の増築や屋根の張替え、さらに上下水道の整備などは、それぞれ専門家に依頼するのが普通だと思う。ところが夫は改装作業を基本的に自分たちでやると宣言。彼自身、大工の資格を持っているとはいえ、「ホントにできるの?」と、ど素人の私は不安のかたまりだったが、彼の決心はみじんも揺らぎはしなかった。一瞬、私は彼が単に物好きなのかと思ったけれどまわりの人に聞いてみると、自分たちで時間をかけて家を建てたり改装している例があちこちから聞こえてきたのだ。さらに、住むための最低条件が整えば、すべての部屋が完成していなくても、住みながら手直ししているケースもままあるという。

もちろん、環境対策や改装の決め事など法律が整備されているので地域のお役所へ申請し、チェックを受けながら作業を進めることになる。お役所手続きにはお金がかかるし、担当者によって話のニュアンスが微妙に変わったりするので時間もかかることになる。お役所仕事にはこの国でも忍耐が肝要ということも思い知った。

「自分たちの家に住みたい」という私たちの思いと「自分の生まれた家を残したい」という夫の母の思いが重なり、義母が彼女名義の家の権利を私たち名義に変更することを快諾してくれたのも追い風になって、2008年、本格的に古民家再生計画がスタートした。

大改装着手当時の外観。家の真ん中の煙突はレンガを積みなおすために撤去。屋根は今では使用が禁止されているアスベスト製
大改装着手当時の外観。
家の真ん中の煙突はレンガを積みなおすために撤去。
屋根は今では使用が禁止されているアスベスト製


改装する建物は今住んでいるエステルスンドの郊外30kmほどにある。エステルスンドはストックホルムから北西へ約650kmにある地方の町で、人口は周辺を含めて6万人弱。街を一歩出ればムース(大角鹿)など野生の動物が住む森と湖が広がり自然環境にも恵まれている。

古民家の土台は石の木造二階建て。最寄りのスーパーマーケットまでは約8km、車で10分ほどだ。お隣には義母の小学校の同級生が年金生活者として暮らしており、道の向かいには羊を飼っている農家の方が住んでいる。家の前には大きな川に続く小川があって冬は全面結氷するが6月の今、私たちの中古ボートも静かな流れに浮かんでいる。水辺に住むことがある種の憧れでもあるので、その意味でも絶好のロケーション。

改装準備に着手したのは3年前にさかのぼる。こんなに時間がかかるのも冬場、夫はスノーボードとフリースタイルスキーの、私はフリースタイルスキーのジャッジとして活動しているので、改装作業に集中できるのは5月からせいぜい9月と限られているためだ。

建物は夫とその兄が10代のころサマーハウスとして使ったこともあったらしいが、私がはじめてそこに足を踏み入れたときはまさに倉庫状態。70年代のカラフルな洋服、昔の暖炉やひいおじいさんの時代の領収書など、ありとあらゆる物が詰まっていた。片付けるのになにから手をつけていいのか、とため息をついたものだ。そのため2007年の夏はほぼゴミ出しに明け暮れた。家からいちばん近い粗大ゴミステーションは小さな村のためニーズも少なく毎日開いていないため、そのスケジュールと天気をにらみつつトレーラーに満載のゴミを捨て続けた。

屋根裏にもしっかり断熱用オガクズが敷きつめられている。屋根を支える部分ももちろん材木
屋根裏にもしっかり断熱用オガクズが敷きつめられている。
屋根を支える部分ももちろん材木


2008年は、部屋を広く使うことができるように必要のない壁を壊し、家を囲む壁に場所によっては三重にも貼り重ねられた古い壁紙をビリビリ、ゴリゴリとはがした。今日では断熱や防音材は扱いやすく効率的な化学繊維製が主流だが、この家が建築された当時はオガクズを使っていた。まるで鰹節の粉ような細かさで壁や天井裏に詰まっているオガクズは、壁を壊すと堰を切ったようにバラバラとあふれ、スキあらば目や鼻に侵入してくる始末におえないゴミ。シャベルですくって大型のゴミ袋に入れトレーラーに積んで捨てに行くこと、数十回だっただろうか? 考えても気が遠くなる。

でも、今になってみれば「やまない雨はない」のと同じように、「コツコツと続けていればいつかは終わる」ことを実体験することができたのは大収穫だった。

≪田中ティナ/プロフィール≫
2004年よりエステルスンド在住。ライター、カメラ、翻訳業のかたわら、冬はフリースタイルのジャッジとして活動。夏は秋の引越しを目指して夫の母から譲り受けた古民家の改装に夫とともに奮闘中。といっても実態は「かたづけ専門家」