第7回 イスラムの伝統工芸ダマスキナードの聖地、トレドで6
画家エル・グレコの描いた「胸に手を置く騎士の肖像」
El caballero de la mano en el pecho

「わかりました。行きましょう」

懇願する私の顔に、驚きとも微笑みともつかぬ温かい顔を向けて、エミコさんは私の提案を受け入れてくれました。

「私も、一度、ゆっくり見て回ってみたかったんですよ!」

5年前にトレドでダマスキナードを学んでいたときは、修業先のアトリエである先生の家が新市街にあったため、ほとんど毎日、家との往復で一日が終わってしまい、お土産屋さんの集まる旧市街はあまり歩けなかったと、エミコさんはこぼしました。

彼女が日本に戻ってからのこの5年の間に町も様変わりをしました。スペインの不況も進み、旧市街では香水ショップ、写真店、ジュエリーショップなど次々と閉店。空いた店舗にはダマスキナードを売る新たな土産店が次々とオープンしていったのです。が、この状況は、私たちの企てには追い風です。

これらのお店に並ぶ品物が本物かどうかを知りたい。それが私の動機です。それには、仕事上、とても大事な理由があるのです。

テレビ、雑誌、本など形態を問わず、日本のメディアから、世界遺産トレドの旅行案内や取材を依頼されるときに、掲載するお店選びにかなり気を使います。たとえば、媒体のスポンサーによって店が指定される場合。編集者から取材を依頼される店が必ずしも良い店とは限らない上、もっと安くて良心的な店もあったりするからです。スポンサーのために「仕事」という現実を淡々とこなせばよいのだという冷静な考え方と、「せっかく遠い日本からスペイン旅行を楽しみにくる旅行者のために、よい店を紹介したい」という本音がぶつかって、相当苦しい思いを幾度となくしてきました。

このサーベルもまた、ダマスキナード

その上、数えきれないほど店があるトレドなのに、ガイドブックやテレビ番組で紹介できるのは、スペースや時間の都合で、たったの数件のみ。「ホテル1軒、レストラン2軒、ダマスキナード1軒、他の民芸品1軒でお願いします」と、件数限定で取材を依頼されるのです。

「取材する店を指定されても、ここは死んでも紹介したくないということもたびたびあったのよ。でも、私には善し悪しの見分けがつかなくて。苦渋の選択を迫られる中、直感を信じて胸を張って紹介するといっても、自分の直感に自信を持ってよいものかどうか」

ふむふむと聞きながらも、 エミコさんの大きな目がキラキラと輝きを放っていました。

「タエコさん、機械で削ったり、判を押すように作ったダマスキナードはすぐわかるんですよ! 教えてあげます。いやー、楽しみ!」

すでに相当酔っぱらっていた私たちではありましたが、しっかりと、明日の朝はカフェで朝食をとろうと約束してから、エミコさんは、私の乗るバスをニコニコ見送ってくれました。

さて翌朝。待ち合わせたカフェは、土産物屋が集中する場所にあります。朝食を済ませて外に出ると、私たちは隣にあったショーウィンドーをさっそく覗き込みました。

「うん、あるある。これ、全部機械ですよ。タエコさん」

「ええっ、これ全部!?」

「のっぺりしていませんか?」

「そう言われてみれば、確かに」

「こうやって、下から見るんですよ。光の反射が弱いでしょう」

そう言いながら、少し身を屈め、上目使いでショーウィンドーを見るエミコさん。

「へえ」

緩やかな石畳の坂道の途中にある次の店でも、ショーウィンドーを眺めました。

「あっ、本物もありますねぇ」

「どれが本物?」

「これ。あっ、これ、先生の息子さんのだわ。このスタイルは間違いないわ」

そう言いながら、ふと、首を傾げるエミコさん。

「あれ、でも、こっちは機械」

同じ店に、機械作りも手作りも混在している模様。

「ねえ、偽物は、素材も偽物なの?」

わたしたちは、いつのまにか、機械作りを「偽物」と呼ぶようになっていました。

「いや、金と銀は確かに使っているんですけど、模様が均一だったり、作り方が雑なので、すぐわかるんです」

「まあ、あなたのレベルに達するまで、素人は苦労するわねぇ」

(誰かがダマスキナードのペンダントを首から下げていたとすると、それが手彫りか機械かを言い当てられるようになるには相当時間がかかるだろうな)

などと考えながら見ているうちに、とうとう、値段が高いことで有名な店の前に来ました。すでに、ショーウィンドーにピッタリ張り付いているエミコさん。

「この作品はすごい! これは、骨董ですね」

「ほお」

「でも、よい作品は、このショーウィンドーの半分だけですよ。こちら側は駄作。ちょっと中に入ってもいいですか?」

「いいけど、観光客になりすましてね。私は面が割れてるからダメなのよ」

顔見知りの店員に挨拶してから、私たちは店の奥のガラスケースの前に立ちました。

「うひょー、これ、すごい雑。うわ、ボンドが浮き出ている。これでこの値段? ダメですよ、これ」

「ええっ!?」

のけぞる私。傍目でも、驚愕の表情は明らかだったことでしょう。

「どうです? お気に入りの品物、ありました?」

ぎゃあぎゃあ品評している私たちの後ろから、顔見知りの店員さんが聞いてきました。彼女が日本語を知らなくてよかった。こちらは内心、ヒヤヒヤです。私たちの企みは、決してバレてはならないのですから。

「どれもすっごくすてきですよ。 ゆっくり考えて、また後で来ますね」

とりあえずそう言って店を出ながら、「収穫あったわ!」と言わんばかりにガッツポーズを取るエミコさん。

「いやあ、ほとんど機械でしたね」

「これで胸がすっきりしたわ。以前、この店を取材するよう依頼があったときに、この店ではなく他を薦めたことがあるのよ」

「よいことをしましたね。妙子さん」

「本当?」

「値段と品物のバランスがあっていないですからね」

そう言われたら、どうしても評価が気になるのが、ホセさんのお店。

「知っているけど入ったことないんですよ」とエミコさんは首を振りました

「じゃあ、行こう!」

車1台すら通ることのでない石畳の抜け道をくねくね早足に歩いて、カフェのテーブルが並ぶ広場を突き抜けて、また短い裏道を通って、到着。

「わー、ここは!」

エミコさんは、 軽く挨拶しながら一歩入るや、口を閉ざしてショーケースに張り付いてしまいました。その姿は、テレビ東京の名物番組「何でも鑑定団」で、掛け軸の名品を前に、手袋をはめた鑑定士が口にハンカチを当てて作品に見入る姿にそっくりでした。

河合妙子(かわいたえこ)/プロフィール
ライター。フォトグラファー。最近、長野県小諸市にある小山敬三美術館から 興味深い依頼を受けました。約90年前の1926年にトレドに滞在して数々の名画を残した小山敬三画伯の足跡を辿ってほしいというお話です。おかげで、小山敬三さんという、ハンサムで上品な紳士のすてきな人生に出会うことができました。敬三さんがデッサンした数々のポイントを撮影し、美術館に納品。7月16日から同美術館で画伯の回顧展が開かれ、私の写真も絵の説明としてパネルになって展示されているそうです。時代を超えたトレドチームの共同作業。本当に嬉しく思います。