第11回 バルゲーニョ〜伝統家具の地上最後の後継者 その3

「……っていうことは、消滅ですか、この伝統工芸……」

バルゲーニョが由々しき事態に陥っているということを認めることができるまで、何度も聞き返してしまいました。「本当に?」と。

「夫婦で日本に遊びに行けるかなあ、ここにあるものが全部捌けたら!」

暢気そうに、フリオさんは笑っています。

「これらは、在庫、なんですね……」

「そうですよ。私が生きている間に全部売れればいいなあと思って。旧市街にも展示場を作りましたから、今度、ファルカマが終わったら、遊びにいらっしゃい」

フリオさんが教えてくれた場所は、知っていました。旧市街の中心に近い路地にあるのです。以前、小さな商店があった場所です。そこを通るたびに、ガラス張りの扉からバルゲーニョが目に飛び込んで来るので、「あれ、こんなところにこんな店が」と気にしていたのです。

「なんだ、場所を知っているのなら話は早い。電話番号はここに書いてあるから、いつでも電話してくれたまえ」

そう言って、フリオさんはパンフレットに書かれている電話番号とホームページを、武骨な人差し指で示してくれました。

ユダヤ教をイメージした金色のバルゲーニョ

ブースに並べられている数種類のバルゲーニョを、 黙ったまま、私は端からじっくり眺め始めました。見比べていくうちに、興味深いことに気がつきました。1台はアラブ風。もう1台はユダヤ風。さらに、カトリック風という具合に、3つの宗教が混在しているのです。

そして、絹糸こそ使っていないけれど「金襴緞子」の帯を思い起こさせる、金と赤の華やかな色合いが美しいバルゲーニョの前に立ちました。

その金色のバルゲーニョには、2つの三角形を上下に重ねたダビデの星が2つ並んだ横長の引き出しが、左列に4段、右列に4段、真ん中の列の下部に1段ついています。そして、輝く大地で華やかに咲き乱れているかのように、たくさんの赤い小さな花と、花を囲んでしなやかに伸びる緑の枝葉が星の内側や引出しの縁に描かれています。

赤い小花が印象的な手彫りのダビデ星/まるで建物のように作られた精巧な細部

さらに中央には、それら赤い小花と緑の枝葉に縁取られた馬蹄形アーチが、その内側の上下2段のバルコニーを守るように囲んでいます。その中央には、最も大切な場所だとわかる鍵付きの扉が付いているのです。

上下2段になったバルコニーと柱

下段の大きめのバルコニーには、柱頭と基礎石をもつ螺旋模様の象牙素材の柱が左右に5本ずつ立ち、鍵付きの扉は、その真ん中に大切そうに取り付けられているのです。その上段には、さらに短い、丸みを帯びたエンタシスの柱が17本ついたバルコニーが。下段のバルコニーと同じ形の柱はダビデの星のついた引き出し全部に左右1本ずつ付けられているので、その合計は99本!

実は、私、こんなに細かくバルゲーニョを眺めたことなどありませんでした。これまでは、どこでこの歴史豊かな繊細な伝統工芸家具を目にしても、「ああ、バルゲーニョね」と、ひとつのジャンルとしてしか扱っていなかったので、細部が目に入らなかったのです。「ステレオタイプ」でモノを見るのは危険だと、あらためて反省してしました。

「なんと細かい作業ですこと。すばらしいわ! 」

歓声をあげて見入る日本からの客との出会いは、フリオさんにとって久しぶりだったのかもしれません。いろいろなことを教えてくれようとしている気迫が目に滲んでいました。

「これはね、シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)ですよ」

「なるほど、そう言われてみれば」

中央の鍵付きの扉は、ユダヤの聖典を納める「ヘカル」と呼ばれる壁を表現しているのだというフリオさん。シナゴーグには、キリスト教の教会のように中央正面に祭壇があり、礼拝時、聖職者は後方の壁「ヘカル」から聖典を取り出し、参列者に向かって読みます。礼拝が終了すると、聖職者はまた振り返って、ヘカルに聖典を仕舞います。

「昔は、町に王や教会の新しい建造物ができると、金持ちたちは呼応するかのようにそれに似た家具を依頼して作ったんですよ。だから、家具が建物のような形をしている。ユダヤ人は、ユダヤの教会を模したバルゲーニョを依頼したんだなぁ」

これが、秘密箱の鍵/鍵はこんなに長い

「ほぉ。 ヘカルをイメージしているから、バルゲーニョの扉にも、鍵がかけてあるんですね」

と、私が納得したように問いかけたとき、

「ははは、面白い物を見せてあげよう。これはね、こうなっているんだよ」

どのバルゲーニョも持つ、内側に隠された箱

きょとんとしている私の目の前をよぎって、フリオさんは左列の引き出しをひとつ取り外しました。次に中央の扉を開けました。中央の扉の中に、なんと、いくつかまだ引き出しがあります。左列の引き出し口の奥に棒状の鍵があり、それを手前に引っ張ってはずすと、扉の中の引き出しが開き、引き出しを閉めた状態で左側の穴から鍵を中に押し込むと、その引き出しは 引き出そうとしても開きません。フリオさんは、つぎつぎと、バルゲーニョ・マジックを見せてくれました。秘密の引き出しは、なんと12個。

「これ、大型の秘密箱だわ!」

我が故郷の小田原・箱根には、伝統工芸「寄木細工」の技法で作られた「秘密箱」があります。箱に仕掛けられている鍵を解除しないと箱が開かない仕組みになっています。仕掛けの数には7回、10回、12回などがあり、125回の仕掛けを持つ秘密箱も存在しているのだとか。

(あれって、箱根の発明じゃなかったのね)

信じていたことが単なる思い込みだったと納得しようとしている私に、フリオさんが、さらなる事実を教えてくれました。

「知っているかい?」

「なんですか、フリオさん?」

「あのね、持ち主はここに、恋文や、へそくりなど、 人に知られてはならない大切な秘密を隠したんだよ」

それを聞いてピンときました 。

今年の夏、トレドの友人が教えてくれた興味深い話。

(もしや、あれも……)

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
フォトグラファー&ライター。2009年にビジネス・マッチングで起業。だがビジネス・マッチングの枠を超えた依頼が多い。11月から12月にかけては、雑誌の取材でのパリ移民街へ出張、建築志向の旅行企画と同行、官公関連の依頼でエコ問題調査の通訳、語学留学生の受け入れ、オリーブオイルの発送であっという間に時が過ぎた。一見どれも関係がないようなのだが、いずれも儲け目当てではなく、啓蒙に近い性格をもつ仕事が集まったところが面白い。学ぶべき範囲も本当に広い。さて2015年はどんな仕事が待っているのだろう? 新しい出会いと学びが今から楽しみだ。