「ペルー移住物語」に共通する出来事、それは1980~2000年にかけペルーを恐怖に陥れたテロリストの活動だ。その歴史で必ず語られる96年のペルー日本大使公邸占拠事件では、津村さんも人質として10日間も監禁されている。ところが津村さんは、「いやぁ、それより戒厳令時代のほうがずっと怖かったですよ」と言うではないか。人質より恐ろしい体験とは、いったいどんなものだろう。
80年末~90年にかけペルー全域に布かれた夜間戒厳令。深夜1時から早朝5時まで市民の外出は一切禁止で、やむを得ない場合は通行許可が必要だった。街の至る所に軍の検問所が設置され、車両はその手前50mで停車することが義務付けられていたそうだ。日本とペルーを結ぶ飛行機は、そのほとんどが夜間に離発着する。津村さんは検問所前での停車を繰り返しながら、空港へと通い続けた。
ある夜。津村さんがいつも通り停車しようとした矢先に、兵士がいきなり発砲してきた。車のガラスが割れ、ミラーが吹っ飛ばされた時の恐怖は、今も忘れられないという。「50m未満に無断侵入した」と判断されたのが原因だが、街灯のない暗闇で停車位置が多少前後するのは仕方ないことだ。それをなんの警告も無く銃撃するとは、当時の軍の傍若無人ぶりが目に浮かぶ。「空港からの帰宅途中に殺された人や、暴行されたスチュワーデスもいたっていう噂ですよ。深夜で目撃者もいないし、たとえ誤射でも、彼らは始末書一枚で済んだんです」空港送迎が命がけだと、誰が想像し得ただろう。戒厳令下、深夜のリマはまさに狂気に満ちていた。
もう1つ、津村さんがどうしても忘れられない思い出がある。
いつものように空港でお客様の送り出しをしていた津村さんに、知り合いの女性が声をかけてきた。国に持って帰る荷物が多いので、エクセス(超過料金)の支払いを手伝ってくれというのだ。津村さんは快く申し出を引き受けたが、手続の途中で空港警察に囲まれ、2人とも別室に連行された。女性の荷物に、国外持ち出し禁止の品が入っていたのである。些細な事なら袖の下でどうにかなるこの国でも、当然禁忌はある。それを犯した場合、理由の如何を問わず最低でも懲役10年コースだ。
「あぁ、俺の人生は終わった」津村さんはすぐ自宅に電話し、「今すぐありったけの金を下ろしておけ、子供たちの世話を頼む」と妻に告げた。件の女性は泣き崩れるばかりで役に立たない。警察は粛々と手続きを済ませ、後は責任者のサインを待つだけとなった。これで家族の顔を見る間もなく、拘置所行きだ。俺の人生はなんだったのか、なんでこんなことになったのか。その時、後ろから「おい、ミッキー、お前ここで何やってるんだ」と声をかけられた。その男性は、津村さんが数年前に会ったことのある税関職員だった。
さかのぼること数年前、ある輸入品の通関手続きを担当してくれたのが、その税関職員だった。品物を受け取って帰宅した津村さんは、手続きにミスがあったことに気が付いた。すでに夜中で疲れてはいたが、「これじゃあいつが困るだろう」と思った津村さんはすぐ空港に引き返し、その件を伝えた。津村さんの誠実な対応に、彼は「お前みたいなまじめな奴は初めてだ」とずいぶん驚いていたという。
その税関職員が責任者になっていたのだ。彼が警察を説得してくれたおかげで、津村さんと女性はなんとか見逃してもらうことができた。「責任者といっても1日3交代の単なる勤め人ですよ。彼の勤務時間じゃなかったら、絶対アウトだった。私なんてもう刑務所で野垂れ死にですよ」この事件以降、津村さんが他人の荷物にかかわることは一切ない。
「他にもいろいろありますよ」とにこやかに応じてくれた津村さん。泥棒はもとより、テロを背景とした脅迫や誘拐未遂を始め、枚挙にいとまがない。やっと世の中が落ち着いてきたと思ったら、95年には病を患い片方の腎臓を摘出。信用していた人物にこっぴどく騙されたこともあるが、それでも日本へ帰ろうとは決して考えなかったという。「私は古い人間ですからね、一度国を出たらまともになる(成功する)までは帰れない」と、その心中を語ってくれた。
津村さんの会社では最近、シンガポールや台湾からの問い合わせが増えているという。アジアの人々もまた「日本人ならではのサービスがペルーでも受けられる」と喜んでくれるそうだ。また、日本に興味を持つペルー人も増え、日本向けのインバウンド事業にも注力し始めた。「もう昔のように儲かる時代じゃない。だからこそ他社ができないようなサービスをしていかないとね」ペルーと日本に止まらず、ペルーとアジアの懸け橋に。津村さんの眼差しは、祖国日本とその先にある広い世界を見据えている。
≪原田慶子(はらだ・けいこ)/プロフィール≫
ペルー・リマ在住フリーランスライター:言葉や習慣の違う国で、時には死と隣り合わせになりながら生きてきた「ペルー移住物語」の主人公たちに共通するもの、それは強烈なまでの生命力だ。商売を成功させたい、自分の好きなことを形にしたい、もっとうまくできるはず、もっといい方法があるはず。人一倍の情熱と欲求が生きる糧となり、彼らを成功に導いた。そんな彼らの物語から、何かを感じ取って頂けたなら幸いです。「ペルー移住物語」、長らくのお付き合いありがとうございました。
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