第1回 カンボジアの地を踏む
アンコール・トムの遺跡にある 「クメールの微笑み」

カンボジアにはアンコールワットがある。だからずっと行きたかった。けれど、なんとなく行きそびれていた。私は20年前からドイツのハノーファーに住んでいる。ドイツに来たばかりのときハノーファー大学入学準備コースで、カンボジア人のKと知り合った。大学に入ってからも、ときどき学食で一緒にランチをした。その後Kは200キロ離れたハンブルク大学に移り、それでもたまにメールのやり取りはしていて、細く長くコンタクトは続いていた。昨年、久しぶりに会ったとき「里帰りするときは教えてね、ついていくから」と冗談混じりにいったら、しばらくして「12月に里帰りするよ」と連絡があった。

こうしてカンボジアに行くことになった。無理をしなくても、力まなくても、物事がひとつの方向に向かう時がある。カンボジアへの旅はそんな感じで決まった。ドイツとの時差は6時間。せっかくだからと、行きにKと一緒に時差3時間のドバイで2泊することにした。

50代初めのKは10人きょうだいだが、半分はすでに亡くなっていると以前からきいていた。ドイツに来る前はロシアにいて、何年も実家に帰っていないともいっていた。なぜなのか理由はきかなかったし、ぴんとこなかった。だから何も知らなかった。ドバイで初めて、Kは話し始めた。カンボジアで子ども時代に体験したことを。カンボジアに着く前に。

翌日、首都プノンペンの空港に到着すると、Kの親戚が10人ほど迎えに来てくれていた。中華料理店に行き、粥を食べた。びっくりするほどおいしかった。人々は温厚で、食は豊かで、都心には高層ビルがそびえ、人々は生活を享受しているように見えた。しかし、人の心は外からはうかがいしれない 。過去は目に見えない。ここにいたるまでに、たぶんいろいろなことがあったのだ。

 

田口理穂(たぐちりほ)/プロフィール
1996年よりドイツ在住。ジャーナリスト、ドイツ州裁判所認定通訳。著書に「なぜドイツではエネルギーシフトが進むのか」(学芸出版社)など。プノンペンではKの親戚宅の斜め向かいのホテルに泊まっていた 。一泊15ドルで、毎日水のペットボトルが2本付く。インターネットには載っていないホテルだった。