我が家の息子16歳は、2年前ごろからなにかと悪さをし、私たち夫婦を困らせてきた。警察からは2度も呼び出され、学校では停学処分を受け、バカンス先の村駐在所の前を通ると「坊ちゃん、しっかりやってますか?」と警察官に声をかけられるようになった。

しかし、その彼が、同じクラスの恋人ができた数ヶ月まえから、めっきりおとなしくなった。まさに豹変である。

夏休み前から、「彼女のうちで宿題してから泊まってくる」と言い出すようになった。「だめ」というのは野暮である。どうしていけないのか?という議論になり、泥沼化することは目にみえているからである。煮え切らない顔をしていると「じゃ、彼女のお母さんに電話してみたら?」とあっさり言う。

この国で「息子の恋愛」というものに対して、どれだけ介入すべきかまったくわからない私は、仕方なく、電話をしてみる。彼女の家に泊まりに行くならば、少なくとも、相手の両親が承諾の上であってほしいからだ。

「もう、可愛いカップルなんですよ。ふたりで小さなシングルベッドに寝ているんですけどね。心配なさらないでくださいね、ちゃんとピル飲んでいますから」

絶句である。しかし女の子のご両親が承諾している以上、私になにが言えようか?

こういうものだということは、ほかのお母さんたちから聞いていた。両親の家で恋人と寝泊まりする高校生は珍しくない。「愛の物音」が家中に響くので「弟もいるんだから、あれはちょっとどうにかしたほうがいいような感じもするけど、狭いから仕方ないわ」というような話も聞く。

それからというものは、毎週、金曜日は彼女の家に泊まりにいき、土曜日は我が家に泊まりに来るようになった。性に対する罪の意識はゼロである。台所に入ってきて、いきなり「マリー、生理が3日遅れてるらしいけど、そういうのって、普通?」と聞いてくる。

こんなこともあった。

「僕のパスポートある? 薬局行ってピルもらってくる」と言われてびっくりしたときのことだ。
「なんで、あなたがピルもらうの?」
「マリーの家は薬局から遠くて、今日はもう遅いから。身分証明書を見せて高校生だっていえば、ピルは無料でくれるんだよ」

結局この件は、薬局に行ったものの「君じゃなくて、彼女本人が来ないとだめなの」と言われて頓挫した。ほかの子どもを育てた経験がない私には、このようなことを立て続けに聞かされるのはかなりの試練である。心の準備ができていないところに、これでもかとばかりにとんでもない質問が飛んでくるからである。

先日、夕食に伺った家庭でこの話をすると、驚かれた。私が普段つきあっている人々と比べると保守的、カトリック信者で、とても同じ政党に投票しそうにない人々だ。「早過ぎるわよ」、と顔をしかめられた。「うちではそんなことはさせないわ」と。同じフランスといえど、さまざまである。

60年代に生まれたフェミニズム運動から50年たった今の時代、子どもたちは性に対して率直だ。高校の自動販売機コーナーには、コーヒーと並んでコンドームの販売機もある。今の子どもたちのおばあちゃんにあたる人々が起こした運動の結果、彼らは親に性について臆せずに質問し、避妊する権利、避妊方法を選ぶことができることも知っている。

この11月14日に、未成年者が、匿名無料で避妊にかんする診察を受けることができるようにという法案が国会で発表された。ピルが合法化されているにもかかわらず未成年者の堕胎手術が増えており、2007年には14500人の15歳以上20歳以下の女性が手術を受けているからだ。親に避妊について相談できずにいる子どもたちも多く、とくに、結婚には処女であることが絶対条件である厳格なイスラム教徒の家庭の女の子たちには、助けを必要としている子どもも多いという。国民皆健康保険ではあるが、子どもは親の健康保険に入っている以上、産婦人科に行けば親に知られてしまうからだ。

私自身は、「性」にかんすることは口にださない家庭に育ったため、家にボーイフレンドを連れて来て紹介することはあっても、同居する親のいる家のなかで恋人のように振る舞うことは、想像もできなかった。避妊について親に質問するなど、考えられなかった。妊娠するのではないだろうかという恐怖で夜も眠ることができず、かといって親に話すこともできず、相談する周りの友だちも私と同じくらいの知識しかもっていなかった数十年前のことを思う。私は地方の封建的な家庭出身だが、10代の頃、「損をするのは女の方よ」、「簡単に身を任すともてあそばれて捨てられるよ」というような台詞を女性自身の口からよく聞いた。自らを卑下するようなその口調にゾッとするような嫌悪感を感じたものだが、このような言葉も多くの女性が感じた望まない妊娠に対する恐怖から生まれたのだろうと思う。

どこの国でも避妊を合法化、無料化すべきだとは思わない。それぞれの文化、宗教によって異なる考え方があって当然だ。ただ、この国では避妊の権利を若い子どもたちも自由にもつことができるようになって、男女の関係のみならず親子の関係そのものが大きく変わった。

たとえ親であっても15歳以上の子どもの性をコントロールすることはできない。そのかわり、国が責任もって性教育をしてくれることをありがたいと思うべきだろうか?

プラド夏樹(プラドなつき)/プロフィール
最後まで読んでくださった方々、ほんとうにどうもありがとうございました。どのような媒体にでも載せることができるわけではない原稿でしたが、心良く引き受けてくださった地球丸の編集部のみなさんに感謝します。