5月14日にニューヨークでIMFのトップ、ドミニック・ストロスカーン氏(後DSK)がホテルの客室係への性的暴行容疑で逮捕された。DSK氏は双方同意の上での関係と、客室係はレイプされたと主張している。来年の大統領選挙の有力な社会党候補であった人だ。
この事件は従来のフランスの男女関係を大きく変化させる転機になりそうだ。
DSK氏はもともと色好みとして有名な人であったが、「政治家はきちんと政治してくれれば、ほかのことは……」という考えが強いフランスでは、あまり問題にならなかった。浮き名を流すことが悪いという観念は皆無だし、プライヴァシーは聖域と考えられているからだ。アメリカでクリントン=ルインスキー問題が勃発したときも、フランスではクリントン擁護の意見がほとんどで、右翼寄りのカトリック派の女性議員ですら「なんでいけないの?」とコメントしていたぐらいである。
この事件がネット上で発表されて、いろいろな反応があった。我が家では、もうすぐ16歳になる息子に、夫がこう言って釘をさしているのが聞こえた。
「おまえな、アメリカに行ったらナンパするときは気をつけろよ」
男性群が多かった友人宅のディナーでは、20時から真夜中までこの話題で沸き返り、しまいには女主人に
「ひとりの女性がレイプされたかもしれないのに、あんたたちはそれをジョークにして、いい加減にしなさい!」と怒られた。
次に行った、もう少しかしこまったハイソな人々のディナーでは
「これからはプライヴァシーがなくなっちゃうね。なにもかもアメリカナイズされて……」
と、老いる国フランスの悲しげな意見が聞こえた。
しかし、一番大きなショックはアメリカとの文化摩擦ではなかっただろうか?
今回、アメリカのメディアは、「フランスは性犯罪に対して寛容すぎる」と叩き、フランス側は「アメリカのピューリタニズム」を断罪した。日本では「欧米」という言葉をよく聞くが、今回ほどフランスとアメリカが遠く感じられたことはなかった。
アメリカとフランスはいろんな面でお互いに競争心をもっていたり、そのくせ尊敬しあったりという複雑な関係にある。しかし「性」という分野では、この二国の文化は果てしなく遠いように思える。誘惑、魅力という意味のseductionという言葉ひとつをとっても、フランス語のséductionにはキラキラしたイメージがあるのに、英語では「そそのかす」というような負のイメージもあるというのは、ほんとうだろうか? 新聞の論壇では「我が国のリベルティナージュ対ピューリタニズム」というような論議も目にした。アメリカのピューリタニズムの対極点にあるのが、フランスのリベルティナージュだ。
ピューリタンというとプロテスタント(カルヴァン派)の1グループのことで、文字通り、質素、厳格、清潔、潔白をモットーにしている。このピューリタンの一部、ピルグリムファーザーズが、アメリカ合衆国を築いた人々だ。しかし、フランスで「あの人、ピューリタンよね」というと、宗派をさすよりも、「固苦しい、性的魅力に欠ける」という意味合いで使われることが多い。
革命前のフランスでも、教会は莫大な権力をもち、性は「キリスト教徒の子孫を増やす」という名目でかろうじて許されるほどの、汚らわしいことであった。しかし、17世紀の王侯貴族のなかには、神や信心などをものともせずに性的放蕩−リベルティナージュに身をゆだねる、リベルタンと呼ばれる人々もいた。ある意味では、教会という絶対権力に真っ向から異議を唱えるという思想的な意味合いがあったことも忘れてはならない。そこから生まれた18世紀のリベルタン文学というと、あらゆるドグマ、道徳、社会・宗教的規範から解放をを描く、ラクロの「危険な関係」やサドの「悪徳の栄え」といった一連の文学を指す。
このリベルティナージュという風潮も、キリスト教の重圧があったからこそ、その反対概念として存在意義があったのであって、教会に通う人が国民の4.5%という今、もはや、なんの意味もない。今日では、単に「道徳に縛られない、性的に自由な」というくらいの意味合いだろう。
しかし、フランス人にとって、教会に対する怨恨が深い分、リベルティナージュという言葉が示唆する精神的遺産は手放し難い。それゆえに、政治家の「不適切な関係」も、「それはプライヴァシーだから」の一言で片付けてしまうことができるのかもしれない。
ジスカールデスタン元大統領は恋愛小説「Passage」を発表するだけではなく、エッセイのなかでは自分のリベルタンぶりを自慢気に披露している。ミッテラン元大統領は公然と家庭がふたつあったし、シラク元大統領は、夫人が「主人はもういろいろあってねー」と愚痴をジャーナリストに言うほどだったが、国民から非難の声があがることはなかった。
しかし、権力者たちのリベルティナージュが、ちょっとおしつけがましいナンパに発展することはないだろうか? レイプ、とくに、レイプ未遂の境界線は、不透明なものではないだろうか? DSK事件がフランスで起きたら、当の客室係は「仕事のひとつ」と割り切ったか、あるいは泣き寝入りしたかだろう、というのがフェミニストたちの声だ。
それでも、今回の対アメリカ文化ショックは私たち一般人の意識も変え始めている。通常、レイプを訴えるのは被害者の10%といわれているが、この事件以来、SOSレイプには通常の30%増しの電話がかかってくるようになったという。
在パリ。待ちに待った夏休みですが、実際にバカンスに行くことができるのは国民の半数という統計。5週間の有給休暇制度にほんとうに意味があるのか、疑問に思うこの頃です。