例年のごとく秋のゼネストに揺れたフランスだが、今年は、企業での女性の給料が同じ役職の男性に比べて27%少ないことがとくに話題になった。法律上は男女平等でも、職場での実態はそうではない。

現サルコジ政権が2007年に発足したときは、内閣の46%を女性大臣が占めていたが、その後どんどんメンバーが変わり、現在、女性閣僚は34%のみだ。そのうちのひとり、大蔵大臣のクリスティンヌ・ラガルドは弁護士としてアメリカで長く活躍した人だが、最近のル・モンド紙上で、「フランスでは、女性だというだけで思うように仕事ができないのでアメリカでキャリアを積んだ」とこぼしている。

このような不平等を事実として受けとめながらも、私は、権利や地位といった明記できるものとは違う視点から、フランス社会での女性の位置を探ってみたい。彼女たち自身がなにを基に「理想の女性」をイメージしているか? また、社会は女性にどのような役割を期待しているか?

というのは、彼女たちが男女同権をほんとうに望むならば、とっくの昔に手に入れていたはずだと思うのだ。北欧やアメリカで成就されていることが、なぜ、この国ではできないのだろう? できないのではなくて、彼女たち自身が厳密な意味での男女同権を求めてはいない、この国で生まれ育ったわけではない私にはこう思えることもある。意識するしないにかかわらず、男性と同じ土俵に立つことで失ってしまうものの価値のほうが、彼女たちにとっては大切なのではないだろうか?とすら思えるのだ。バッシングされることを覚悟のうえで、あえて、こんな仮定を立ててみたい。

宮廷恋愛が南仏で芽生えた12世紀を例にとってみよう。キリスト教が絶対であったこの時代、女性は男性より絶対的に劣った存在だった。聖書に明記してある通り、女性=誘惑=悪であるからだ。社会的にも、女性は遺産相続を目的とする結婚の一駒でしかなかった。そんな時代を背景にして、西欧の恋愛の原型となったものが生まれた。それは、騎士が自分より身分の高い既婚女性に捧げる騎士道愛で、必然的に不倫で、プラトニックで、不幸でなければならない。騎士は、自分には身分不相応な女性を崇め、どうにか目をかけてもらおうと、自らを高めるべく鍛錬に励む。トルバドゥールとよばれる、宮廷から宮廷へと旅する叙情詩人がこのような悲恋をうたい歩き、それがヨーロッパ中に広まった。「トリスタンとイゾルデ」、「ロミオとジュリエット」もそのヴァリエーションのひとつにすぎない。ここで注目に値するのは、女性が、社会的には一人前の人間として扱われないのに、宮廷という政治と権力が集中する場で起きる恋愛関係では、絶対的上位に立っていたことだ。

16世紀、イタリア遠征から帰国したフランス王フランソワ1世はイタリアのルネッサンス文化にならい、フランスの宮廷にも女性を多く受け入れることにした。ここで、前述した12世紀の宮廷恋愛から発展したギャラントリーが生まれる。コートを脱ぐのを手伝う、ドアを開けて押さえてあげるという一連の女性に対する礼儀を意味するが、恋愛ゲームという意味でもある。このギャラントリーを巧みに操ることができる若い貴族は身分の高い女性に気に入られ、それをきっかけに出世の道が開くというシステムができあがった。

18世紀末にいたるまでフランスの宮廷文化をリードしていったのは、このような宮廷に仕える女性たち、既婚の貴婦人である。男性が馬に乗って戦争ばかりしている間、宮廷に残された彼女たちは芸術の素養を高め教養を深めた。自分を磨く時間があった彼女たちは、領地争いにエネルギーを費やす男性たちより、数倍、インテリジェンスを備えていたのだ。フランスでは王権は男性に限られているため表向きの女王というのは存在しないのだが、王に政治上のアドヴァイスをしていた賢い寵姫は多い。アンリ2世は自分の乳母であった20歳年上のディアンヌ・ド・ポワチエを愛人とし多くの助言を得ているし、ルイ14世も年上の愛人マントゥノン夫人に政治上の相談をし、ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人などは、狩猟にしか興味がない王に代わって国政を操っていたという。

17世紀初頭から、自宅で文学サロンを開くようになるのも貴族女性たちだ。ランブイエ夫人、ラファイエット夫人などが有名だが、彼女たちは時代の先端をいく文学者や思想家を自宅に招き、知的会話を楽しみ、才能ある若者には経済的・精神的援助を惜しまなかった。前述のポンパドゥール夫人は、自分は王の公妾でありながら、後に王侯貴族の特権を廃止することになるフランス革命の思想的土台を作った啓蒙思想家ヴォルテールやディドロを自宅のサロンに招き、自由に発言させていたというのだから、かなり先見の明があった女性だ。

権利の平等、不平等だけを見ていると見落としてしまいがちなのだが、ある意味で、フランスの女性たちは、社会的な権利や地位以上の影響力をもって、時代を動かしてきたのではないだろうかと思わずにはいれない。公の権力に手を汚さずに、言うべきことは言い、かつ崇められていたい! こんな特権の密かな美味しさを、たかだか地位や昇給とひきかえに手放すだろうか? いや、ここまで言うと言い過ぎかもしれないが、このような歴史が育った精神的土壌が、男女平等を徹底するのを遅らせているのでは?と思う。

≪夏樹(なつき)/パリ在住フリーライター≫

企業でキャリアを積んだ男性の平均年金が1600Eに対して、女性は1000Eという差は大きいと思う。今年から、50人以上の企業で男女平等が実行されていない場合は、総人件費の1%の罰金が課せられるようになった。ずいぶん少ない罰金……http://natsukihop.exblog.jp/