フランスが誇りにしていることのひとつに、男女共存の長い歴史がある。しかし共存=平等ではない。逆説的なようだが、この共存の歴史が、男女平等を妨げているように思われることがある。

普段の暮らしのなかではあまりに普通のことで気づかないが、フランスでは男女混じって行動するのがごく普通のことである。レストランやキャフェのテーブルを見渡すと、男だけ、あるいは女だけのテーブルはきわめて少ない。これが、地中海文化の影響が強い南仏にいくと、男だけ数人でビールを飲んでいる、あるいは子ども連れのママンだけのテーブルというような光景が多くなり、いささかギョッとしながら「同じ国でもここは異文化圏なんだなー」と感じることがある。

男女共存社会というのは、カップル社会というのとも少し違う。カップルであろうとなかろうと男女が入り交じっているというのが男女共存だ。当然のことのように、そこにはほのかな恋愛の芽生えのような気配が漂うことも、男性が女性にさりげなく賞賛の言葉をかけることもある。既婚であろうと、5人の孫がいようとひとりの女性であることを意識することができる時がある。おお、たしかに女性にとっては気持ちいいことだ! しかし、これは、この国ならではの楽しみ、おとなのゲームとして味わうものであって、下心のある「ナンパ」とはまったく別のものである。

ディナーに行けば、政治、経済、外交といった話題でも女たちは発言する。亭主のメンツを立てて黙っていてあげる、などという配慮はゼロである。また、「女は黙って聞いていろ」というような野暮な態度をとる男は少ない。誰かの失言で会話に気まずい雰囲気が流れたりした場合、話題をさりげなく変える配慮をして会話を活性化していくのは、男主人より女主人の役目である。18世紀のフランス宮廷における女性の在り方、会話をリードしていくというような役割は、今日の日常生活のなかでも受け継がれている。

しつこいようだが、だからといって男女平等というわけでは、決してないのである。

私的な場において女性の発言が重要視され、こちらが照れるような持ち上げ方をされることが多いのに対して、公の政治の場での女性に対する態度には目を覆いたくなるような下品さがある。男性の政治家は、女性が実権を握ることを絶対に許さないのだ。

つい10年ほど前までは、女性議員が演壇で発言するたびに、性的な意味合いを込めたからかいの言葉が投げかけられることすら珍しくなかった。「売女!」などというのはまだ平凡なほうで、「子宮がこれから発言します!」などという揶揄が飛ぶことさえある。ミッシェル・アリオ=マリーが女性で初めての国防大臣に任命されたときには「えっ、膣が国防大臣になるの?」と言った男性議員がいたそうだ。ミッテラン政権時代に法務大臣であったエリザベト・ギグーはリベラシオン紙上で「女性が政治に関わると必ず性的な侮辱を受ける。口に出さないのは、ある意味で強姦された女性が口をつぐむのと同じである」と言っているほどである。(1)

最近、ここまで露骨で下品な発言は少なくなってきたとしても、男性が女性政治家の実力を正当に評価するにはまだまだ時間がかかりそうだ。2005年にセゴレーン・ロワイヤルが大統領選挙に出馬したとき、「選挙というより美人コンテスト」と言った政治家がいるという。女性政治家が実績を発揮すると、「女性だから」「美人だから」という理由で茶化してしまうという態度はそう簡単になくなりはしないだろう。

このようなフランス人男性の態度を糾弾しようとすると、「それはガリア人精神」の一言で片付けられてしまうことがある。紀元前に今のフランス一帯に住んでいたケルト語族ガリア人のことであるが、その精神といえば、「陽気で淫ら」「きわどい」「野卑な」という意味合いである。飲み屋で男同士で大騒ぎして、下品な冗談に笑い転げるというような場面を想像してもよいかもしれない。女性に敬意を尽くす「ギャラントリー」を駆使するのもフランス男であるが、悲しいかな、その正反対のガリア人精神も、これまた同じ男の一面である。

驚くのは、こういう場面で「そういうことを言うのはセクシャル・ハラスメントよ」というような断固とした態度をとる女性が意外に少ないことである。「冗談がわからないやつ」、あるいは「ほら、だからフェミニストって困る」と白けられるのをおそれてか、男たちに迎合してナァナァで終わらしてしまう女性たちが実に多いのだ。こんなシーンにでくわすたびに、「男女共存が大切なのはわかるけど、女性同士の連帯はほんとうに少ないなー」と一抹の寂しさを感じざるをえない。

女性たちは、男たちと共存できる社会がいかに少ないかを知っている。何歳になってもギャラントリーを尽くされ、女性であることを再認識できることの気持ち良さは比類ないものだ。でも、それゆえに、女性同士の間には連帯感が薄く、フェミニズム運動は生半可で権利の平等も徹底しないのでは……

(1):Michèle Sarde 著『De l’Alcôve a l’Arène』 p,133

夏樹(なつき)/プロフィール
パリ在住フリーライター。昨年末は何度も雪が降ったけれども、一足早く春が訪れた模様。冬の大バーゲンが今週始まったものの、冬物より春物を着たいほどの気温です。http://natsukihop.exblog.jp/