第9回 バルゲーニョ〜伝統家具の地上最後の後継者

 
石畳を一歩踏み出すごとにつま先から歴史を感じるトレドに住み始めて3年目のこと。日本の雑誌やムックで、トレドの家とデコレーションを紹介する仕事が始まりました。
アラブ式パティオを持つ美しい家が無数にあるトレドのインテリ...
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トレド旧市街遠景。屋内に歴史遺産をもつ家がぎっしり。

石畳を一歩踏み出すごとにつま先から歴史を感じるトレドに住み始めて3年目のこと。日本の雑誌やムックで、トレドの家とデコレーションを紹介する仕事が始まりました。

アラブ式パティオを持つ美しい家が無数にあるトレドのインテリアや建築が、まだほとんど日本に知られていなかったこともあって、編集者さんたちが興味を持ってくださったのです。

なにしろ、トレド旧市街には、自宅の中にローマ時代の地下室や日本の大化の改新頃にあたる西ゴート時代の柱を持つ家、エントランスにムデハル式の回廊を持つマンションなど、古い建物を利用した家しかないのですから。

トレド旧市街の家のベッドルームはこんな雰囲気。
この写真はホテル・ カーディナル・シスネロの1室。

たとえリビングや寝室がイケアの家具で溢れていても、天井の梁は16世紀、パティオにある漆喰の壁はセファルディ風(15世紀末までスペインに住んでいたユダヤ人の文化風)、石の壁は10世紀のアラブ時代のもの。

取材でどのおうちを訪問しても、貴重な骨董品が生活空間の一部になっていることが当たり前というトレドの家々に、いつも驚かされました。

中には、見るたびに、在住日本人の友達と交わした会話を思い出す骨董家具がありました。

「うち、今度ベッド買い替えるの。今使っているのは、昔っから主人の家にあるんだけど、古くさくてイヤなのよ」

「そうなの?」

典型的なベッドのヘッドボード。友人や私の家にもあったタイプもこれ。

「カベセラ(ヘッドボード)の両脇に、ほら、螺旋模様で削られてる柱みたいなのが2本付いてて。ほら、こっちによくあるでしょ。なんだっけ、ほらあの、バルゲーニョ。とにかく、動くと軋むのよ。音がすごくて」

「ああ、ああ、あれって、バルゲーニョっていうの? うちのベッドもそれだわ。大家さんのだけど」

歴史的価値やオシャレよりも、機能性と暮らしやすさを重視する現実的な彼女には、骨董ベッドは相性が悪かったようです。確かに、寝返りを打つたびにミシミシ軋むので、私も閉口気味でしたが。

ですから、螺旋模様に彫られた4本の脚を持つ、一見、古いオルガンか、母が愛用していたミシンのような形をした家具を初めて目にしたとき、

「そうか、これもバルゲーニョか。いろいろなタイプがあるんだな」

と、しげしげと見入ってしまいました。その家具の表面には、緻密なアラブ風の模様や象眼も施され、金銀細工で飾られていたのです。

日本のアンティークショップでも目にする欧米のカントリー調やロココ調のおしゃれな家具とはひと味違う、「すてき」や「かわいい」といった雰囲気からも遠い、どこか不思議な家具でした。

トレドでは、このバルゲーニョをいろいろなところで目にするので、スペインではありふれた民芸家具なのだと思い込んでいたのですが、数年前、トレド市役所のホームページの翻訳に携わり、伝統文化を紹介するページを読んで、これがただの家具ではないことを知りました。

トレド近郊のバルガスという村で作られていたから、村名にちなんで「バルゲーニョ」と呼ばれるようになったという、大変高価な工芸品だというのです。

歴史を紐解くと、バルゲーニョが世に登場したのは16世紀。4本の足を持つ箱は、開けば机に変身。ルネッサンスの時代に人気を博したドイツ製とともに、ライティング・デスクの草分けとなったお品だったのです。

トレドのバルゲーニョの特徴は、ポータブル。移動に便利なデザイン性にありました。スペインの「黄金の世紀」を支えた立役者でもあるとのことですが、一体どういうことでしょう?

「黄金の世紀」とは、平凡社の『スペイン・ポルトガルを知る事典』によれば、「スペインが政治・軍事・外交・経済・宗教・学術・文学において世界の指導的役割を演じた時代」、つまり、女王イザベルとその夫で国王のフェルナンドがスペインを統一した1492年以降に興った、新しい時代を指します。

時代は大航海時代へ突入していました。イザベルとフェルナンドは援助したコロンブスによってカリブや南米まで領土を広げ、他国に先駆けて多くの植民地を得ましたし、彼らの孫で、神聖ローマ皇帝に選出されたカルロス5世の欧州における影響力もあり、スペインは「日の沈まぬ帝国」と呼ばれるようになったほどです。

この時代は、ちょうど日本の戦国時代から江戸時代の前半にあたります。いうまでもなく、南蛮貿易の時代です。

そんな時代、芸術も百花繚乱。 文学面では、売春婦や下民層の姿を描いてヨーロッパのレアリズム文学に大きな影響を与えた戯曲『セレスティーナ』や、スペイン人が今も愛するピカレスク(悪漢)小説『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』 が刊行されました。その後、全世界でも聖書に次ぐベストセラーだと言われている小説『ドン・キホーテ』が誕生。

庶民の間では「コラリージョ」と呼ばれる裏庭やパティオを利用した小劇場が流行し、これらの戯曲や物語が上演されたのでした。

また、この時代の画家には、ピカソにも影響を与えたベラスケスやトレドに住んだギリシャ人のエル・グレコがいます。先にあげた平凡社の『スペイン・ポルトガルを知る事典』によれば、巷に溢れていた浮浪児を天使のように描いて一世を風靡した奇才ムリーリョが没する1682年までが、黄金の世紀にあたるとのこと。

バルゲーニョの基本的な形。オルガンのような、ミシンのような。

こんなすごい時代を、どのように、バルゲーニョが支えたのでしょうか?

作家たち、記録する人たちを、下から支えたのです。なにしろ、机ですから。

後世に読み継がれることになる戯曲や小説を書く人々、歴史を記録する人々、日記や手紙を書く人々の、紙とインクを置く台になり、ペンを握る手を支えたのが、バルゲーニョだったというわけです。

しかも、ポータブルです。宣教師たちはバルゲーニョを移動書斎として船に積み込み、南米まで運んだのです。

調べていくと、メキシコ人の作家、ケイラ・オチョア・ハリスが『エル・バルゲーニョ』というタイトルの、まさに私が知りたいバルゲーニョの歴史の核心に迫る小説を発表していることを知りました。

「セルバンテスも、これで『ドン・キホーテ』を書いたのだろうか?」

彼女が書いたこの一節を読んで、椅子から転げ落ちそうになりました。

「大家さんのベッドが軋んでイヤだわ」と言っている場合ではありません。

今回から数回にわたって、トレドが生んだバルゲーニョという家具に迫ってみたいと思います。

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
ライター、フォトグファー。スペインに来る前はパリに住んでいたので欧州在住通算そろそろ17年。それ以前は台湾に8年。気がつけば海外在住25年という記念の年に、ペンネームを河合妙香に改名。読み方は以前と同じ「カワイタエコ」です。みさなま、あらためて、どうぞよろしくお願いいたします。河合妙香HP

最新の仕事に、総合旅行情報サイト「トラベル子ちゃん」の現地クチコミ・マドリー。70軒のホテル・グルメスポット・観光スポットの楽しみ方、背景、歴史をご紹介しました。スペインにご興味のある方、ぜひ、ご覧下さいね!

嬉しいお知らせがあります。ダマスキナードの回で登場してくれたエミコさんが、熊本商工会議所の「くまもと未来イノベーションアワード2014」の「2014年度 未来イノベーター」に選ばれました。写真左上段の、黒い袖無しのお洋服を着ている女性がエミコさんです。

エミコさん登場の回はこちらです→スペイン職人物語 第6回