第14回 いつの日か感染症コンプリート

今回は、病気自慢をさせてもらう。

 

調査や仕事のために未開の地で暮らしたことのある人ならたいていわかってもらえると思うが、現地の人たちからの信用をどれくらい得られるかは、目的達成のための重要なポイントになる。そのためには村の人たちと同じ生活をすることが重要になってくるが、どこまで合わせるかが難しい。

たとえば信用を得て村に溶け込むのに最善の方法は一緒に畑に出て働くことだろうが、これをしていたのでは仕事にならないし、皆が刺青や瘢痕分身(はんこんぶんしん:からだに切り傷をつけて模様を描く習慣)をしているからといって、日本に帰ってからの自分の人生を考えるとそこまでは踏み込む気持ちになれないのが普通だと思う。

 

私が暮らしていた西アフリカ・ブルキナファソのS村に住むヌヌマ族は、周辺民族から「毒殺の民」として恐れられていた。だからだろう、家に訪問者があるとまず玄関口で、ヒョウタンの鉢に入れた水をひと口自分が飲んでから訪問者に振舞う習慣があった。「毒は入っていませんよ」という意味だ。

しかし、雨の少ないサヘル地域では甕(かめ)に水を溜めて飲料水にするのが一般的で、差し出される水はたいてい濁っている。飲めばかなりの確率で何らかの病気にかかりそうなシロモノだ。かといってこれを拒否すれば「あなたを信用していません」となり、その家の人と信頼関係を結ぶのが難しくなってしまう。

訪問先で水を出される機会はほとんど毎日、それも何度もある。村の人たちから込み入った話をいろいろ聞きだす必要のある私としては、にっこり笑いながらも心の中では「えいやっ」と気合を入れてそうした水を飲まねばならなかった。

感染症の中には蚊が媒介するものも多い。これも蚊帳さえ吊って寝ることができればかかる確率をかなり下げられるのはわかっているが、村で誰も蚊帳なんて吊っていない中、自分ひとり吊れば目立つことは避けられず断念した。

こんなわけで当然のごとく、あらゆる感染症にかかった。寄生虫に始まり、マラリアやコレラ、デング熱、赤痢、アメーバ赤痢などなど。うろ覚えだが、当時、厚生省が公表していた感染症のリストは危険度を基準にしていたものなのか、2つか3つに分類されていた。このうちの危険度上位とおぼしき分類の中で性感染症を除いてかかっていないものは、腸チフスぐらいという状態だった。

これは私に限ったことではない。その頃所属していた文化人類学のゼミでは大学院生は2~3年、アフリカやアジアの奥地で現地の人びとと生活を共にしてフィールドワークにあたるのが通例だった。そのためゼミ生が集まると話は自然と病気自慢になり、罹患したことがあると献血できなくなるマラリアや腸チフスにかかったことのない学生は、当時のゼミにはひとりもいないほどだった。

 

昨年、今住んでいるヤンゴンで腸チフスにかかった。「これで感染症コンプリートだ!」と喜び(?)勇んで厚労省のサイトを見に行ったら、以前と分類の仕方が変わっていて現在は5つに分類されており、最上位はエボラ出血熱やらマールブルグ、ラッサ熱といった、かつては名前さえ知られていなかった病気ばかり。もうコンプリートなんて全体に無理! という状況になっていた。

いつのまにか世界って、こんなに感染症に満ち溢れていたんだね……。

 

板坂 真季(いたさか まき)/プロフィール
感染症に関して、実は私は“優等生”。症状や潜伏期間など、「家庭の医学」的なサイトの説明とほとんど一致している。だからきっと、「効く」とされる特効薬も教科書どおりに効くはずと、高熱が出ても落ち着いていられたのだった。