ひとは美食を求める生き物だ。
西アフリカ・ブルキナファソ奥地にあるヌヌマ族の村に住んでいた数年の間に、私はそれを身にしみて実感した。
村は物質的にはとても貧しかった。水は遠くまで汲みに行かねばならず、食事といえばモロコシ(キビの一種)を粉にして水と練って団子状にしたものに、野菜や木の葉を調理したソースをかけたシンプルなもの。肉や魚といったタンパク質が口に入ることはほとんどなかった。
それなのに、調理する人によって驚くほど味が違う。当時お世話になっていた村長には6人の妻がいたが、明らかに料理のうまい妻、うまくない妻がいるのだ。特に第3夫人は料理上手で、村ではもっとも安価で手に入るバオバブの葉を潰して煮込むありきたりなソースでさえ、ほかの5人に比べて明らかにおいしい。いったい何が違うのか。
まず、第3夫人が作る主食のモロコシ団子「トゥ」は、肉汁でも入っているのかと錯覚させるような、ほのかではあるが食欲をそそる香りがする。調理場面を見ていると、何らかの草や木の葉、実を加えている。彼女は畑の帰りに、必ずトゥに入れる植物を森で採ってきていた。このエリアは雨季と乾季で大きく植生が異なるが、シーズンごとに異なる植物を利用してさえいた。聞けば、どの植物を使えばいいかは彼女の母親から教わったという。彼女の母親もまた、その母親から教わったようだ。
何世代にもわたり、どうすればトゥがおいしくなるかを試行錯誤してきただろうことは想像に難くない。半乾燥のサバンナとはいえ、身近にはおびただしい種類の植物がある。時には料理を台無しにしてしまったこともあるだろうし、毒草に当たってしまうことさえあったかもしれない。
そもそも、各家庭が工夫するこうした香り付けの植物に限らず、このエリアの食事に使う基本調味料はとても複雑な過程を経て作られるものばかりだ。
何の料理にもたいてい入れる、スンバラという調味料がある。スンバラは豆を煮て発酵させ、それを乾燥させて固めたもの。香りが日本の味噌や納豆に似ており、まれに売っている大豆で作るスンバラなら味も見た目も大徳寺納豆と完全に一致するほど。
スンバラとともに多用するカリテバター(シアバター)の作り方はもっと複雑だ。原料は、現地で「カリテ」と呼ばれるアカテツ科の木の実。梅ほどの大きさのこの実の種を乾燥させ、割って取り出した中の部分だけを砕き、炒ってペースト状になるまですり潰す。さらに、水を入れてしっかりこねて脂肪分を浮き上がらせるという工程を何度も繰り返し、最後に火を加え溶かして濾過。それが固まれば出来上がりだ。
食料の確保さえままならないサヘル地域において、なぜこんな面倒な工程を生み出してまで調味料を作るのか。いったいどうやってこの作り方を考え付いたのか。そして日の出から日の入りまで畑に出づっぱりの暮らしの中で、どうして香草を探して森へ入るのか。そもそも、なぜ人間だけがここまでしておいしいものを食べるために情熱をそそぐのか。
これが、けだし人間は美食を追及する生き物だと、考えるに至った次第である。
≪板坂 真季(いたさか まき)/プロフィール≫
最初にブルキナファソに興味を持ったきっかけは、川田順造さん著の『サバンナの博物誌』だった。この中に、ブルキナファソにはバナナ大もあるオクラを使った味噌汁に似た料理がある、という趣旨の記述があり、なぜか強烈にこれを食べてみたくなったのだ。これはスンバラを使ったソースのことで、現地で初めて食べた時の感激は今でも鮮やかに思い出すことができる。