第16回 印象に残った3人

私が西アフリカのブルキナファソ西部の村に住んでいたのは、今から20年ほど前のこと。ブルキナファソの在留邦人数はごくわずかだったが、印象的な人が多かった。今回は特に印象に残った3人について語りたい。

 

某宗教団体信者Aさん

最初の頃、在留届を出してブルキナファソに滞在している日本人は3人しかいなかった。しかし、実は届出を出さずに住んでいる日本人も何人かいた。それは某新興宗教の信者たちだった。

その宗教団体に対しては私はひじょうにネガティブな気持ちをもっていたが、信者である彼女たちは皆とても気持ちのよい人たちで、年齢も近かったために仲良くなった。当時、日本ではその団体の強引な勧誘方法が批判的に語られていたが、彼女たちは特に私に布教してくることもなかった。

その団体では世界160ヶ国以上に各国10名ずつの布教担当者がいて、彼女たちはそれに志願し、合同結婚式でブルキナファソ人と結婚したとのことだった。海外布教は人気があり、選ばれるのはとても名誉なことなのだとか。志願するにも短大卒以上の学歴が必要とかで、宗教においてさえ学歴社会なのかと愕然とした覚えがある。

ある日、そのうちのひとりで、子どもを産んだばかりのAさんの家を訪ねると、日本からお母様が来られていた。和やかな雰囲気だったので、親ごさんは反対しないものなのだなぁと思っていたら、Aさんが席をはずした隙にお母様から「宗教にも結婚にも反対したがダメだった。孫が生まれたと聞いてお金をかき集めてなんとか会いに来たが、これが最後になると思う。娘ももう帰国することはないだろう。娘が困ったら、どうか力になってやってほしい」と涙ながらに頭を下げられた。

信者以外の日本人で会えたのが私だけだったそうだ。その後1年ほどで私もブルキナファソを離れたので、結局何の力にもなれなかった。インターネットが発達してスカイプも簡単にできるようになった今、あの母娘が気軽にテレビ電話をできるようになっていればよいのだが。

 

地元のお金持ちに嫁いだBさん

近隣の別の国に旅行した際に知り合った日本人に、Bさんがいる。その国の人と結婚しており、街中で旦那様に「ワタシノツマハニホンジンデス。イエニアソビニキマセンカ」と誘われて知り合った。

行ってみるとお金持ちで、大きな家の庭にはなぜか、いくつものカバの頭の剥製が。何でもお舅さんの趣味がカバ狩り。その国ではカバ狩りでしとめた獲物の首を大切な人に贈る習慣があるそうで、お舅さんに気に入られている彼女はいくつも貰ってしまったそう。

カバの頭は大型冷蔵庫ほどの大きさがあり、はっきりいってかなり邪魔。しかも庭の光景のシュールなことといったら……。既婚の日本の友人からも、自宅に飾りたくないような手作りのプレゼントをお姑さんから貰って困っているという話はよく聞いたが、スケールが大き過ぎだ。

ちなみに、彼女の家にお邪魔して居間で一緒にテレビを見ていたら、昼間挨拶したお舅さんがニュース番組に出てきた。その国はそのとき大統領選挙の真っ只中で、なんとお舅さんは大統領候補だった。なんというか、やっぱりスケールが違い過ぎる……

村の子どもたち。この中にも髄膜炎で亡くなった子どもがいる。

ありえない日本人Cさん

私の滞在中、日本のODAが決まり、ある日系の大手ゼネコンが首都ワガドゥグにオフィスを構え、駐在員が何人かやってきた。みなさんとてもいい方で、読み終わった日本の新聞をいただいたり、時には日本食をご馳走になったりした。

ところが、穏やかな感じのよかった所長さんが工事進行の遅れの責任をとらされたとかで日本へ戻され、代わりにやってきたやり手の新所長さんがありえない人だった。仕事外で接している分には普通の人だったが、現地の官僚たちも参加した会議でやらかしたという。

安全対策についての話し合いで、「アフリカ人の命はヘルメットよりも安い」と発言したそうだ。つまり、現地作業員が事故でなくなった場合の補償金よりも、作業員たちにヘルメットを支給する費用の方が高くつくのでヘルメットは不要、と言おうとしたのだ。

幸い日本人の通訳が絶句してしまい、そこへほかの日本人が「訳さないで!」と言ったので問題になることはなかったが、もう! もう!! 本当にありえない!!! 千歩譲ってそういう思想の持ち主がいたとして、現地の人たちに面と向かって言うなんて。言っていいと思うなんて。

たしかにここでは人の命が「安い」。たった150円ほどのワクチンを我が子に打ってやれなくて、何人もの子どもを髄膜炎で亡くした女性をたくさん知っている。そんなに「安い」って思っているなら、その子たちにワクチンを全部買ってあげて! 自分でも言ってることの論理が破綻しているのはわかっているが、あの時は本当に腹が立ったものだった。

ちなみに今でもその会社は、アフリカでODAを受注している。あれから20年以上たち、社員の民度も上がっていることを願うばかりだ。

板坂 真季(いたさか まき)/プロフィール
当時、宗教関係以外のブルキナファソの在留邦人は3人。全員が遠隔地に住んでおり、携帯電話もネットもほとんどない時代でなかなか連絡が取り合えなかった。そこで「日本人会」と称した食事会を開くにも「3ヶ月先の○月×日に首都で」という約束の仕方をしたものだった。