第5回 文明化された俺

「オレは文明化(シビリゼ/civilisé)されてるから」

それが彼の口癖だった。

村の呪物のひとつ。この上で鶏を供犠する

当時、私が暮らしていたブルキナファソの村は、ヌヌマ語を話すヌヌマ民族が住むエリアにあり、公用語のフランス語はほとんど通じなかった。町の中学や高校へ通う子どもたちなら話せたが、もともと数人しかいない上、学期中は村にいない。

しかし、私にとっては幸いなことに、村には前年、高校を中退した青年がひとりいて、彼が私の助手兼通訳を務めてくれていた。

ヌヌマは周辺民族から「毒殺と呪詛の民」とよばれるほど、その手の慣習や事件が多い。そういった事柄について彼が私に説明する時はいつも、最後にこう付け加えた。

「俺は文明化されてるから、そんなことは信じないけどね」

村では、訪問者があると水をすすめる習慣になっていた。渡す前に家人がひと口飲むのだが、これは「毒は入ってませんよ」の意味。助手もこの習慣は守るのだが、「俺は文明化されてるから、誰も毒なんて盛らないってわかってるんだけど、まぁ、マナーだから」といちいち説明したがった。

ちなみに差し出される水は遠くの井戸から汲んで溜めてあったもので、明らかに黄色く、何かが浮いているし、現地には唾液を通じて感染する病気も多い。しかし、飲まなければ「あなたを信用していません」という意味になり、村の人たちとコミュニケーションがとれなくなってしまう。頑張って飲んでいたら滞在中、そのエリアで流行っているほぼすべての伝染病にかかってしまったのは、また別の話。

さて、ある時、「ヌサラ(私のあだ名)が俺の呪物を見た」と村の老人から訴えられた。彼の呪物は、家に入った者なら誰でも目にしないわけにいかない部屋の真ん中に鎮座しており、私はその老人に招かれて家へ入っている。

しかし、ここで言う「見た」は、目に邪心が宿っていたかどうかが問題で、邪心は本人の意思と関係なく目から放たれるとされているため、私には反論の余地はない。私は長老裁判にかけられ、鶏を2羽供犠するようにとの判決が下った。殺した鶏は当然、原告である老人の口に入る。この時もうちの助手は、「あいつは鶏をせしめたかったから嘘をついたんだ。俺は文明化されてるからわかる」と慰めてくれた。

そんな文明化された彼と村を歩いていたある日、近所の男性、Aさんとすれ違った。ふたりは和やかに挨拶を交わしたが、姿が見えなくなると助手はこう言った。

「Aさんが俺の父さんと叔父さんを殺したんだ」

え!?

彼の父親と叔父はふたりとも、前年に病気で亡くなったと聞いていたが、彼の話はこうだ。身内が立て続けに死んだので呪術師に占ってもらったところ、「Aさんが見えない針でふたりを呪い殺したことがわかった」。

しかも、“犯人”が割れたからといって、Aさんに“殺人”を問いただすことはしていない。「犯人と殺害方法がわかれば、あとはそれを防ぐ呪物を占い師に処方してもらって終わり」という。

え!? ええ!!??

「えーっと、それはAさん、ただの濡れ衣では……」はここでは禁句。私の時のように、Aさん本人が気づかぬうちに“毒殺”してしまったのかもしれない。知らないうちに誰かを殺し、知らないまま犯人と名指しされ、“被害者”家族に恨まれているのにも気がつかない。そういった闇の人間関係が幾重にも交差し、澱のように沈殿しているのがヌヌマの社会なのだ。

それにしても、文明化が自慢の彼も、こういうことには疑問を感じていないのが驚きだった。

滞在も終盤のある日、文明化された助手に連れられて呪術師に会いに行った。呪いの儀式についてインタビューする流れで、実際に呪ってみせてくれることに。料金はよく覚えていないが、日本円で2000円ほどだったと思う。

呪いたい人の顔を思い浮かべるように言われ、当時、いろいろと腹に据えかねていた人物がつい頭をよぎった。このことは、その後すっかり忘れてしまっていたが、7、8年後、その人が亡くなった。それもかなり悲惨な最期だったようだ。

……呪い殺しちゃった?

まさかね。

何年もたっているし、神様の体系が違う日本だし、そもそも私もその人も文明化されているし……ね?

板坂 真季(いたさか まき)/プロフィール
時折、数十km離れた、ブワ民族が住む街へ出かけていた。電気がきていたその街で、PCを使った資料整理をするためだ。「ヌヌマの村で暮らしている」と言うと必ず、「彼らは毒殺が得意だから大変でしょう」と同情された。住む前に教えてほしかったよ……