第49回 インド亜大陸の向こうにある島々〈後編〉
インドネシア・スラバヤ市内にある中華風のチェン・ホー・モスク

大航海時代はレコンキスタの終わりとともに始まった。香辛料を求めてポルトガルとスペインは先を争うように航路を開拓した。アフリカ大陸南端の喜望峰経由でインド航路を拓いたポルトガルは、クローブとナツメグの原産地だったモルッカ諸島にたどりついた。後れを取ったスペインは南アメリカ大陸南端、マゼラン海峡経由の西回り航路を拓いた。西回り航路を拓いたマゼラン隊は人類初の世界一周を達成するが、マゼラン自身はモルッカ諸島に到達する前にマクタン島で首長ラプ・ラプに討たれて絶命した。

現在、モルッカ諸島はインドネシア・マルク諸島である。マクタン島にはフィリピン有数のリゾート、セブ島の空の玄関口マクタン・セブ国際空港がある。南蛮人が来た当時は、ジャワ島東部にマタラム王国、ジャワ島西部にバンテン王国、スマトラ北部にアチェ王国、スールー諸島にスールー王国が、ミンダナオ島西部にマギンダナオ王国があった。いずれもいくつかの小さな島々や大きな島の一部を領土とするイスラム教国である。

ポルトガルとスペインは、トルデシリャス条約に基づいて南北アメリカを分けたように、アジアを分けるためにサラゴサ条約を結んだ。西回り航路は採算が合わないため、スペインはモルッカ諸島を放棄した。サラゴサ条約に従えば、本来フィリピンはポルトガル領のはずなのだが、スペインが先取権を主張した。香辛料がとれないフィリピンは二国間でもめることもなく、スペイン領となった。

インドネシアに南蛮人の次にやってきたのが紅毛人だ。コロンブスがインドと間違えて到達したのがカリブ海に浮かぶ西インド諸島。それに対して東インドとはインドネシアである。イギリス東インド会社、オランダ東インド会社がインドネシアで覇権を争い、結局インドネシアはオランダ領となる。1898年米西戦争後、フィリピンはアメリカ領となった。

太平洋戦争中の1942年にはインドネシア、フィリピン両国に日本軍がやってきた。フィリピンでは軍政の一環として日本語教育が行われたが(おそらくこれはせいぜい首都マニラがあるルソン島のみにおいてであろうと推測する)、インドネシアでは日本軍はまずインドネシア語を公用語とした。島ごとに言語が異なるインドネシアにマレー語を基にした人造語をつくらせたのである。すでに共通語があった朝鮮、台湾、パラオのような半島や一島、10ほどの小さな島々なら、いきなり日本語教育もできるだろう。しかし、インドネシアは1万3466島、フィリピンが7109島なのだ。島の数では世界1位と2位だ。インドネシア人、フィリピン人という民族はいない。同じマレー系とはいえ、異なる民族に属し、同じマレー・ポリネシア語派とはいえ、異なる母語を話す人々を統一するのはいかなる手段をもってしてもほとんど不可能だ。

19世紀にヨーロッパの地理学者がインド亜大陸の向こうにある島々という意味でインドネシアという名称を用いた当初、インドネシアと呼ばれる範囲にはフィリピンも含まれていた。帝国主義がやってくる前はインドネシアでもフィリピンでもない2万を超える島々が海の上に点在していただけにすぎない。

中東のドバイとアジアのシンガポールはともに世界有数の観光大国だ。イスラム教国ドバイはギャンブル禁止なのに競馬が盛ん。さすがにカジノはないが競馬くじは売っている。ここでも表向きは売春禁止だが、つつましい置屋とはとても言えない店がどうも少なからずあるらしい。そもそもドバイは人口の8割が外国人なのだ。一方、やれポイ捨てするな、トイレの水は流せと口やかましいシンガポールではギャンブルも売春も合法である。どちらの国でもインドネシア人、フィリピン人の娼婦が多いそうだ。

ジャパゆきさんをさかのぼること一世紀、東南アジア各地ではからゆきさんと呼ばれる日本人娼婦が働いていた。日露戦争後のシンガポールでは1000人ほどの日本人娼婦が働いていたらしい。アジアだけではなく、アフリカ、シベリア、満州、北米まで渡った人もいたそうだ。そういえば、日本も6852もの島から成る。

ポルトガルとスペインが交わした条約によると日本はポルトガル領である。南米の旧ポルトガル領、ブラジルへは1908年に日本人の移住が始まる。1897年メキシコへの榎本移民を皮切りに太平洋戦争開戦までのラテンアメリカへの日本人移住者は25万人を超える。からゆきさんは長崎県島原半島や熊本県天草諸島出身者が多かった。ラテンアメリカへの移住者は九州、沖縄出身者が多い。当時、海外移住は日本の国策であった。明治時代の九州ではハワイ移民のことも男女問わず、からゆきと呼んでいたそうだ。大正時代から東南アジアの日本人娼婦を指すようになったらしい。

あらゆる言語を上回る万能なコミュニケーション手段は金である。欲望も空腹も満たし、貧困を解決できるのは金だけだ。本来の宗教の教えも金儲けのために解釈を変える。人種差別されることを百も承知で金を求めて海を渡る。ちんけな島国根性をかなぐり捨てて。

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトでの旅イベント「旅人の夜」主催。2018年現在、50カ国を歴訪。処女作『棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

以下、ネット上で読める執筆記事
春秋社『WEB春秋』「ここではないどこかへ」連載(12年5月~13年4月)
東洋マーケティング『Tabi Tabi TOYO』「ラテンアメリカ de A a Z」連載中(11年3月~)
小学館『サライ.jp』「テキーラの故郷「テキーラ村」でメキシコ流テキーラの飲み方を学ぶ」(18年6月)
投資家ネット『ジャパニーズインベスター』「ワールドナウ」(15年5月)
NTTコムウェア『COMZINE』「世界IT事情」第8回ペルー(08年1月)