第7回 行きつけの国~その4中国~
北京の観光名所、景山公園からの紫禁城も白くかすんでいる

2014年、新年一発目は中国だった。初めての南京にもやはり青空はなかった。上海、広州、香港、成都、福州、天津、大連、北京。中国の都市には片っぱしから飛んでいるが、どの街の空もいつも白い。日中、快晴であっても霧がかかったように白くかすんでいる。

最近になってPM2.5がようやく取り沙汰されるようになったが、2007年に初めて渡中したときから、すでに大都市に青空はなかったのだ。はじめは黄砂が飛んでいるせいかと思っていたが、半日ほど外に出ているだけで、毎度、頭が痛くなり、喉がいがらっぽくなる。これは光化学スモッグと同じ症状だとすぐに気づいた。夏は特にひどい。

13億もの人々がアメリカ人と同じように、車を乗り回し、物を使い捨てるようになったら、とんでもないことになってしまう。だから、中華人民共和国は社会主義なのだと納得していた。しかし、もはや中国の都市部はアメリカと同じようなものだ。物乞いがいる社会主義などありえない。文化大革命後の歯止めなき拝金主義が行きついた結果がPM2.5なのだ。

2008年に北京オリンピック、2010年に上海万博を経た中国の現状が、1964年に東京オリンピック、1970年に大阪万博を開催した高度成長期の日本と重なって見える。羽振りのよい富裕層をあてこんで、中国人御用達の銀聯カードが使える店が日本にも増えた。以前はよく漢字で筆談したものだが、近頃は英語でやりとりのできる中国人も多い。世界中に中華街があり、華僑や華人がいる。

私は大学院の同級生だった元北京放送アナウンサーの王さんに「広東面(かんとんづら)」とお墨付きをもらっている。この風貌のせいでよく中国語で話しかけられる。中国の観光地で見かけたやぼったい団体に近づいてみると日本語をしゃべっていた。もはや都会の中国人の方が田舎の日本人よりもよっぽどあかぬけている。見分けがつかないこともしばしばだ。箸でものを食べる人々はみな、中国人とその亜流なのだと私は理解している。

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒。同大文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトで主催する旅イベント「旅人の夜」が6年目を迎える。ロックバンド、神聖かまってちゃんの大ファン。2014年現在、46カ国を歴訪。処女作『棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

以下、ネット上で読める執筆記事
春秋社『WEB春秋』「ここではないどこかへ」連載(12年5月~13年4月)
カジュアルプレス社『月刊リアルゴルフ』「片岡恭子の海外をちこち便り」連載中(08年8月~)
東洋マーケティング『Tabi Tabi TOYO』「ラテンアメリカ de A a Z」連載中(11年3月~)
朝日新聞社『どらく』「世界のお茶時間」ハーブの国の聖なるお茶 Vol.22 ペルー・アンデスのマテ茶(10年2月)
朝日新聞社『どらく』「世界の都市だより」リマのひと マテオの口元ほころんだ(06年11月)
NTTコムウェア『COMZINE』「世界IT事情」第8回ペルー(08年1月)