第12回 旅するバルゲーニョ〜伝統家具の地上最後の後継者 その4

800本以上あるという紅白の馬てい形アーチが有名な、コルドバのカテドラル。
バルゲーニョを置いてあるホテルは、この目の前にあった。

こんにちは! みなさま。いかがお過ごしですか?
さて、今年最初のスペイン職人物語・バルゲーニョ編をお送りします。

1300年ほど前にシリアからやって来たイスラム教徒の家具職人たちが作り始めたと言われるトレド発祥のこの家具は、権力者の建物や礼拝堂をミニチュアにした繊細な装飾と、内部にいくつもの小さな秘密箱を持つユニークなデザインが特徴です。

トレドから車で15分ほどの距離にある村バルガスで多く作られたから、「バルゲーニョ」。この名称がこの家具の正式名として歴史に登場したのは1872年のこと。イギリスのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館のカタログで紹介されたのです。世界中に愛されてきた歴史を物語るエピソードですね。

では、なぜトレド発祥の家具が世界中で愛されるようになったのでしょうか?
他に類を見ないデザインもさることながら、バルゲーニョは、移動を目的に作られた家具だったからです。

バルゲーニョを入り口に飾っていたホテル「メスキータ」。アンティークな雰囲気がすてき。

昨年11月、 マヨルカ島の瀟洒な邸宅を改装した宿でバルゲーニョを見つけた時、はっと惹きつけられました。今年1月に訪れたコルドバの石畳の静かな町並みに建つホテルの入り口でバルゲーニョを目にしたときは、喜び勇んで駆け寄り、写真に収めました。高価なものだからでしょうか、自慢気に入り口に飾られていました。

フリオさんの話を聞いて以来大変興味を持ち、この連載を始めるにあたって資料も少し読んでいましたから、「旅をする家具」バルゲーニョの実際の軌跡を目にしたときは、「よくここまで来たね!」とトレドからの長旅を慰安したくなる気持ちでした。

今度彼にお会いするときは、バルゲーニョの旅する側面についてお伺いしよう。玄関に500年以上も前のイスラム経典の木造彫刻が残る家に住むフリオさんを訪ねる時は、彼の家族の歴史も聞いてみようと決めていました。

訪問を約束した日、自作のバルゲーニョに囲まれたフリオさんは、75歳とはとても思えないつやつやした顔で、私を迎えてくれました。

「どうだい、最近は?」

「おかげさまで。それにしてもバルゲーニョっておもしろいわ! イエズス会宣教師によって南米に運ばれたという歴史を読んでとっても感動したんです。私がまだ小学生だった頃、父が開け閉めできるライティングデスクを買ってくれたんですけど、あれもまた、バルゲーニョが与えた影響だと知って、本当に驚いて」

ホテル「メスキータ」のエントランス。
ご覧の通り、左右に2台のバルゲーニョが!

挨拶もそこそこに息急き切って話しだすと、フリオさんも面白そうに応えてくれます。

「南米だけでなく、世界中に広まったからねぇ。ヨーロッパでも、『これは面白い』と喜ばれて、ドイツならドイツの、チェコならチェコのスタイルで、それこそ各地で作られるようになったんだよ。スペイン国内でも、アンダルシアやマヨルカ島でその土地特有のバルゲーニョが作られていったんだ」

「そういうことだったのですね。マヨルカとコルドバにもあったわけだわ。最近、目撃したばかりなんですよ。マヨルカで泊まったホスタルのオーナーはドイツ人だったの。だから私が見たものがトレド製かマヨルカ製か、あるいはオーナーが故郷から運んできたものかは、わからないわ。今度行ったら、その由来を聞いてみましょう」

狩りや風俗習慣が描かれた象牙の板を
引き出しに使った骨董バルゲーニョ。芸が細かい!

こんな調子で、再会した瞬間から話が溢れて止まりません。

「ところで、持ち運びが便利な道具としてのポータブルの原型ってバルゲーニョが最初なんですってね 」

「そうなんだよ! ほら、これを見てごらん」

そういってフリオさんが示してくれたのは、家具の側面にある取っ手。日本の骨董家具でもおなじみの、レトロな鉄の輪っかが付いています。昔は戦場で使う兵士の生活道具や書類を入れ、馬に運ばせていたというのです。馬に乗せたり降ろしたりするためにも、取っ手は必需部品でした。地面に置いて物を探すには低すぎて不便だったこともあり、やがて三脚風の台座が発明されてセットで持ち運ばれるようになったと、フリオさんが説明してくれました。

17世紀にもなると、ヨーロッパの王室の輿入れは国を跨いで行われ、他国へ嫁ぐお姫様たちはバルゲーニョに大切なものを詰めて持って行きました。いわば、スーツケースですね。高価なバルゲーニョは、当時からお金持ちのシンボル。お金持ちであればあるほど、所有していたバルゲーニョの数も多かったと言います。

シンプルだが中央にローマ風の門を持つバルゲーニョ。
黄金の地球の上で羽を広げる8羽の鷲と
バルゲーニョを支える8本の黄金の足にも注目!

「なるほど。ならば、日本でのお輿入れで家具が運ばれるようになったのも不思議ではないわ。やっぱり、 バルゲーニョは南蛮貿易によって日本へ来たのよ!」

いつか日本でその調査もしてみたいという気にさせてくれる会話を続けたあと、私は思い切って聞いてみました。

「フリオさんの家系って、代々バルゲーニョを作っていたのでしょう? やっぱりモリスコの血筋なんですか?」

モリスコとは、かつて、スペインに住んでいたイスラム教徒のことです。

ほほほっと手のひらで顎を触りながら、柔らかい微笑みを浮かべたフリオさん。

「いやあ、あのねぇ……」

どこから話し始めようかと、ゆっくり言葉を探す彼の口から飛び出したのは、想像だにしていなかった仰天人生でした。

その内容たるや、いかに。次回をどうぞお楽しみに!

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
トレド在住ライター・フォトグラファー。個人事業主。今年3月は、人生初の里親を体験しました。スペイン語を学習する19歳の日本人女子学生さんが我が家に1ヶ月滞在したのです。頑張り屋さんで、心がピュア。 澄んだ目でじっと見られたり、純粋な疑問や感動を聞いたりするのは、わたしにとっても新鮮で楽しい時間でした。この子たちが、世の中を担う次世代なんだわー、としみじみ。私に何ができるのかな? 彼女の夢と私の夢を語りながら、初心に戻っていろいろなことを考えた1ヶ月でした!