第7回(最終回)日本とポーランドの懸け橋に

6月の終わり、娘は楽しい思い出を胸に、2年間過ごした幼稚園を卒園した。卒園式は日本のように形式ばったものではなく、園児たちがこれまで習ってきた歌や踊りを両親を始めとする家族に披露する「卒園発表会」のようなものであったが、入園したばかりの頃を思い返して、胸がジーンとした。

娘が幼稚園卒園記念にもらった品々。

ポーランドの幼稚園は9月に始まる。日本のように運動会など親子で外に集まるような行事はなかったが、室内での発表会と親子ワークショップがあった。11月11日の独立記念日にちなんだ発表会では、愛国心を表現した歌や踊りを中心に、詩の暗唱まであった。1月の終わりには、おじいちゃん・おばあちゃんの日を祝う発表会が、5月の終わりには、母の日・父の日を祝う発表会があり、この2つの発表会が一番感動的だったように思う。わが子が自分に向けたメッセージを、詩や歌にこめて贈ってくれることがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。ほかの両親や祖父母も同じ思いだっただろう。そして1年を締めくくる6月の発表会では、その年の成長を見せてもらえ、感無量だった。親子ワークショップでは、クリスマスの飾りを作ったり、復活祭の色つき卵を作ったりして楽しんだ。

クリスマスのキリスト生誕劇や復活祭前の仮装カーニバルなどポーランドならではの行事もあった。カトリックの国ポーランドでは、クリスマスと復活祭は大切な行事であることもあって、みんなで正装して特別のごちそうを頂いたようだ。季節の行事のほかにも、1~2時間でポズナンの町を散策する遠足から、1日がかりのバス遠足まで様々な課外行事もあった。親が参加できないこれらの行事はすべて先生方が写真撮影をしてくれ、私たちにも楽しそうな様子が伝わってきた。

幼稚園2年目に入った2014年9月、娘に始めさせたことがあった。柔道だ。何かスポーツの習い事をさせたいと思っていた私たち。
日本と関係するものを習わせられたらと考え、近辺で評判のよい柔道教室を選んだ。夫は様々な武道を習ってきた中でも特に柔道が好きだった。私は私で、オリンピック金メダリストの谷(旧姓 田村)亮子選手が同学年だということで勝手に親近感を覚え、テレビでいつも応援していたこともあって、自分は柔道をやらないのに見るのはとても好きだった。

娘の通う柔道教室主催の子ども柔道大会にて。
娘の抑え込みに、親である私たちのほうが力が入ってしまったかも。

こうして通い始めた柔道教室の6~10歳グループ。小柄な娘を見た先生が、こんな小さな女の子が男の子ばかりのグループでやっていけるのかと心配した初日。そんな先生の心配をよそに、娘は男の子たちに混じって毎週楽しそうに稽古に励んでいた。先生もまさか、その“小さな女の子”が1年の間に大きな男の子たちと同じように練習をこなし、男の子たちを寝技で抑え込めるようになるなんて思いもよらなかっただろう。私たちでさえ、娘がここまで柔道が好きになって、こんなにも上達するなんて考えもしなかったのだから。

娘が幼稚園や柔道教室で目覚ましい成長を遂げていた2年の間、私はポズナンの国立アダム・ミツキェヴィチ大学の修士課程で勉強するべく奮闘していた。1年目は、幼稚園に行き始めたばかりの娘が毎月のように風邪で寝込んでいたこともあり、なかなか講義に行かれず途中で断念。2年目の昨年は、最初から平日は通えないと判断し、土日のみ開講される社会人大学院を選択。書類もそろえ、満を持して申し込んだものの、開講直前の9月末になって、人数が集まらなかったので今年は開講されないとの連絡が! もうやる気になっていたのでがっかりしてしまったが、講義なら聴講してもよいとアドバイスされ、「ポーランド文学論」、「ポーランド文学研究法」、「文化論」などの講義に出席。大変有意義な時間を過ごすことができた。「文化論」の授業では先生から頼まれて、1回分の授業時間で日本文化とポーランド文化の違いについて話したことも。50人近い学生を前に話をするのは、グダンスクでの講義と同じくらい緊張したが、たくさんの質問も受け、学生たちが満足してくれたようでほっとした。また、ポーランド語による小論文を寄稿することになり、その執筆のために初めてアンケート調査を実施したこともあった。インターネットを使って日本の友人・知人を中心にお願いしたのだが、一般的な質問を考えたはずが、思ったより専門的になってしまったようで、アンケートひとつとっても「研究することの難しさ」を改めて感じたのだった。

9月からいよいよ娘は小学校に入学する。アクロバットと柔道のクラスがあるという、スポーツに力を入れている小学校だ。そこは学区外なのだが、ポーランド代表チームを率いた経験のある柔道7段の先生に教えてもらえるということで興味を持ったのだ。体験入学に行ったり先生方からお話を伺ううち、スポーツだけでなく文武両道を目指す学校であることが分かったのが決め手となった。今年の1年生はアクロバット強化クラス、柔道強化クラス、英語強化クラスの3クラスが編成されることになり、そのうち入学先に選んだのはもちろん柔道強化クラス!

私のほうは今年こそ修士課程での勉強を始めようと思っていたのだが、思いがけず夫が10月から半年間日本で共同研究をすることが決まり、家族そろって日本に滞在することになった。それはもちろん嬉しいのだが、修士課程を始めるのがまた1年延びるのがちょっぴり残念でもある。とはいえ、娘にとっては初めて過ごす日本でのクリスマスにお正月。日本のおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に楽しい思い出を作ってもらえたらと思う。ほかにも、日本での小学校通学、柔道の稽古など、“日本でしかできないことの予定”が盛りだくさんで、まだ娘が生まれる前だった前回の長期日本滞在とはがらっと変わった滞在となるに違いないと今からワクワクしている。

そして私は40歳という節目の誕生日を母国日本で迎えることになる。誕生日なんて、世界中どこにいても同じと思うものの、こういった特別な年齢の誕生日を日本で祝えることがなんだか嬉しい。

私が通っているアダム・ミツキェヴィチ大学ポーランド文学部の建物。
水彩画を習っている父が描いてくれたもので、私のお気に入りの作品。

8月に入り、娘は7歳になり、私たちは結婚14年目に突入した。私の「ポーランド人生」の大半を夫と過ごしてきたことを、娘がすくすくと元気に成長してくれていることを改めて幸せに感じている。

本エッセイの初回でも書いたが、運命という見えない力に導かれるようにポーランドとかかわってきた。そんな私の文章を偶然目にしたことでポーランドに興味を持ち、ポーランドに旅行する、ポーランド語の勉強を始める、そうして私のようにポーランドを大好きになる、そんな人が1人でも多くいてくれたらそんなに幸せなことはない。「日本とポーランドをつなぐ懸け橋になりたい」というのはあまりにありきたりな言葉かもしれない。でもこれからも、日本でポーランドを、ポーランドで日本を紹介していきたいという気持ちはきっとずっと変わらないだろう。

スプリスガルト友美/プロフィール
ポーランド在住ライター。今回のエッセイを通して、ポーランドとかかわってきた20年間を振り返りながら、いろいろな思い出が昨日のことのようによみがえってきた。つらいと感じたこともあったはずなのに、不思議とそのことは思い出せず、素敵な思い出ばかりが頭に浮かんだ。これから先も続くポーランドとの関係が素晴らしいものであって欲しいと願わずにはいられない。

これまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!

ブログ「poziomkaとポーランドの人々」http://poziomka.exblog.jp/