第17回 闘牛士を守る刺繍 ‐その2‐

闘牛開始前の花道

「闘牛」という言葉は、すっかり日本に定着しています。
赤い布を振る闘牛士の姿も、簡単にイメージできます。

しかし、闘牛の細かいルールや意味については、それほど知られてはいません。
知りたくても、資料が少ないのです。

今では、 日本人闘牛士・濃野平さんによる著書やネットで読める記事のおかげで、これまで知られてこなかった 闘牛特有のしきたりや裏話を、楽しく垣間見ることができるようになりました。しかし、その濃野さんでさえ、日刊イトイ新聞の連載に、こう書いています。

「闘牛に関する情報なんて
日本にはほとんどありませんでした。
日本語で書かれている数少ない
闘牛関係の本(ほとんどが絶版になってたり )を
読みたいと思えば、もう「国立国会図書館」くらいまで
足を伸ばさなきゃいけませんでした」

出典:http://www.1101.com/matador/2003-04-24.html

濃野さんの指摘通り、日本で闘牛に関する情報に接した記憶が私にはありません。「闘牛」という言葉を具体的に耳にしたのは、フランスでした。十数年前のことです。

「闘牛士には、ハンサムな男性が多いのよ」

そう私に教えてくれた人がいるのです。 当時住んでいたパリで交友を深めた、背が高くて足がキレイで、笑顔が素敵な一人の日本人女性でした。 彼女は、スペイン人のある闘牛士にぞっこんでした。

夏のバカンスから戻ったから会おうよという連絡をもらい、じゃあいつものあそこにしませんかと決めた待ち合わせのカフェで、彼女はいきなりこう言いました。

「彼に会うため、スペインに行ったの」

「か、彼って……」

「うふふ。ハンサムな闘牛士」

誇らしげで、喜びに満ちた笑顔の後、衝撃的な告白が続きました。

「彼に触ったの。わたし」

「ええっ、触っちゃったんですか!? って、どこを?」

返事の代わりに素っ頓狂な叫び声を上げる私。彼女の言葉にすっかり意表をつかれたのは、「闘牛士に触る」ことなど、それまでの人生で一度も考えたことなかったからにほかなりません。

闘牛を見に行く日、闘牛場の前で待ち伏せし、入場する彼の身体に手を伸ばしたという思い出を、まるで、今も彼が隣にいるかのように、うっとり話す美しい友人。

そのシーンはそのまま、私の理解する「闘牛」として、強烈に脳裏に焼き付けられました。

やがて、 自分が住むことになるとは想像もしていなかったスペインに住み始めると、現地のテレビが頻繁に、闘牛中継を放送していることに気がつきました。闘牛士たちの華やかな私生活がスペイン版ワイドショー を賑わせることもありました。

「なるほど。彼女が言うように、闘牛をする男には、特別な魅力があるのかもしれない」

だんだんそう思うようになってきた私は、テレビで闘牛中継がかかるたびに、闘牛士の目や身体つきをしげしげと観察。

「あの眼光は、獲物を追う男の目というもの?」などと自問自答しているうちに、独特のしきたりや動き、道具、音楽、観客の反応が 目に入ってくるようになりました。

襟までついた大きな布「カポーテ」

たとえば、私たちが「赤い」と思っている布。これには、ピンクと黄色が表裏一体の「カポーテ」と、真紅の「ムレタ」、この2種類があり、それぞれ色、形、大きさのみならず、役割まで違うということ。

赤く、薄く、小さめの布「ムレタ」を使うのは後半戦でのこと

ピンクの「カポーテ」は、牛が登場口から突進してくる前に、闘牛士がもう手に持っている布です。大男が羽織るマントを見立ててデザインされているのか、襟が付いており、重厚感があります 。両手で持たないと使いこなすことができません。

両手で持たなければならないということは、「カポーテ」を持っている間、闘牛士は剣が持てないということになります。

では、どうやって牛を仕留めるのでしょう?

実は、闘牛士は一人で戦うのではありません。 牛の巨体に剣を軽く突き刺す「バンデリジェロ」や、馬上から槍を刺す「ピカドール」の協力で仕事を全うしていくのです。

「カポーテ」を手にする「バンデリジェロ」たち

「バンデリジェロ」や「ピカドール」たちは、寄ってたかって牛を攻撃しているように見えますが、もしかしたら、闘牛の後半戦に起こるべき芸術的な舞の仕込みとして、牛が興奮するように刺激を与えているだけなのかもしれません。

「バンデリジェロ」と「ピカドール」の仕事によって、カラフルに装飾されている剣を何本も突き刺された牛の巨体が、かんざしで飾られた花魁の頭のように見えてくる頃、闘牛の中盤戦が始まります 。

「バンデリジェロ」も「ピカドール」も姿を消し、闘牛士と牛は、一対一。

この時から、片手に 「ムレタ」、片手に剣。 薄い真紅の布で細長い剣を隠すように持ちながら、闘牛士はまず、花魁の頭と化した牛の目の前で「ムレタ」を優雅に振りあげます。「走り」を意味する「コリーダ」が闘牛全体の流れであるなら、「ムレタ」を持ってからの掛け合いは、「ファエナ」と呼ばれる特別な領域です。

ある日、「ファエナ」を見ているうちに、ふっと意識がテレビ画面に惹きつけられて、ピカソが好んで描いた闘牛の絵と、ダブって見えたことがありました。

美しい旋律の音楽を聴いているうちに現実を忘れて夢の中にいたという経験、ありませんか?  ある写真にふと目を留めるや、 いつの間にかその写真の世界に浸っていたということはありませんか? 「ファエナ」に吸い込まれた時、それによく似た感覚を味わいました。その時から、闘牛に対する私の見方が完全に変わりました。長い時間をかけて理解する必要のある大変な文化だと感じたのです。

「ファエナ」は、粋な言葉です。本来「するべき仕事」を意味するラテン語起源の単語ですが、「知らぬ間にはめられている罠」とも「手練手管」とも訳すことのできる裏の顔もあります。ゴールを決めたり優勝旗を持ったりした時にする、闘牛士の「ファエナ」の真似は、サッカー選手おなじみのジェスチャー。 日常会話でも、ちょっとした問題が起きた時など「ファエナだね」といって肩をすくめることがよくあります。この通り 「 ファエナ」には、 スペイン的人生観が秘められているのです。

牛を仕留めた直後、ムレタを抱えて歩く
闘牛士セサール・ヒメネス

そんな深い精神を表す布が、ただの布であるわけがないでしょう。

闘牛士のきらびやかな衣装を作る職人さんたちは、この布も作ります。

彼らに会いに行く前に、闘牛について、一から勉強する必要がありそうです。動きの意味や小道具を知らずして、匠の技を理解することはまずできないでしょうから。

Photo©Taeko Kawai. All Rights reserved.

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
スペイン在住ライター・フォトグラファー。西・英・中・仏語OK。好奇心旺盛な性格が相まって、自由に活動の幅を広げられる仕事で起業して7年。 仕事の範囲は視察旅行コーディネート、公演プロデュース、輸出、調査、日本語教育に及ぶ。 魔法を学び、人生の不思議を味わう日々。