第16回 闘牛士を守る刺繍 ‐その1‐

殺らなければ、刺(や)られる。

それが「闘牛」の宿命です。

岩のようにがっしりした身体と鋭い2本の角を持つ、この戦いのために造られた「闘牛」という種。その巨体の脊髄に1メートルもある細い剣を差し込んでトドメを刺すのは、日本語では闘牛士と訳され、スペイン語では殺し屋を意味する職業マタドール。互いに同じ危険に晒された両者の決闘は、観る人の心の奥から、美しい、ひどい、かなしい、可哀想……と、さまざまな感情を引き出すスペクタクルです。

一騎打ちとはいえこの牛は、真打のマタドールが登場するまでに、何人もの槍持によって体中を刺されます。闘牛を弱らせておかなければ、マタドールと織りなす「リディア」、すなわち、両者の華麗な闘いは生まれないからです。

多少弱らされているとはいえ、相手は鋭利な武器を2本頭に備えた猛牛。勇気がなくては、胸を張って膝を伸ばし、至近距離まで迫ることなどできません。恐れを知らないマタドールがエレガントな誘導の型で「カポーテ」と呼ばれる布をひらひら翻すと、それまでスペイン風行進曲のパソ・ドブレで臨場感を盛り立てていた楽団や、ざわめきをつん裂いていたトランペットの響きが鳴り止み、「オレ!」という掛け声が丸い闘牛場から一斉に湧き上がったかと思うと、その中を、宙に揺れる赤い布に向かって猪突猛進ならぬ牛突猛進の勢いで走り抜けて行く巨体……。

このリディアが美しければ美しいほど、語り継がれることになります。マタドールと牛が一体化した円舞のような姿を、ピカソは何枚も描きました。リディアで魅せる技こそ闘牛士の真骨頂。自分のリードに一生懸命くらいつき、最高のリディアを生み出してくれた牛には、闘牛士が敬意を表し、殺さず「インドゥルト(赦免)」という名誉を与えることもあります。

「人間が牛をインドゥルトするとは、なんと高慢な」と最初は思いました。しかし、牛を悪、人間を善ととらえ、悪魔を神が倒すという神話の再現だと想像するなら合点がいきます。あるいは牛は、神の逆鱗に触れ牛に変わってしまった人間を意味しているのかもしれません。野獣の息の根を止めて魂を天に放つのは善を司る者の役目。闘牛場の裏方の一角には、たいてい原始的なチャペルがあり、闘牛士たちは跪いて祈るのです。闘牛が秘める神秘はそのあたりにあるのではないでしょうか。

とはいえ「コリーダ」ともよばれるこの一連の舞の後、圧倒的な確率で殺られるのは牛の方です。マタドールも稀に命を落としますが、よく起こるのは、鋭い角にやられて負う大怪我。鋭く太い牛の角が闘牛士の首を刺し、顎を突き上げ、その先端が口の中から飛び出すこともあります。眼孔を一刺しすることもあります。太ももを裂き、脇腹を貫くこともあります。

泰山のような巨体を前にして、闘牛士はさながら一本の木。彼らに有利になるように仕組まれていてさえこの有様なのですから、あらかじめ牛を弱らせておかなければ、勝負など簡単についてしまうでしょう。

リディアが終わり、牛の脊髄を貫くための細い剣が目標に焦点を合わせるときが、生死をかけた攻防戦のクライマックス。大量の赤い唾を吐き出しながらハアハアと喘ぎ、体中からも血の糸を流している闘牛が、立ち止まる瞬間があります。その一瞬をマタドールが捉えると……。

鷹のような目の先に、鞭にも似た剣を構えて顎をしゃくりあげ、全神経をその切っ先に集中させて静止したその瞬間から、雄叫びをあげて一歩踏み出したマタドールが瀕死の巨獣と交差するまでの間、秒針が進むのはわずか。

コリーダがある日は、闘牛場の前では、動物愛護運動家たちが必ず抗議活動をします。バルセロナが首都であるカタルーニャ自治州では、「これでまた失業者が増える」と現地の関係者が肩をすぼめるのをよそに、闘牛は廃止されました。

そんな動きがあっても、闘牛士たちの心は、私たちの想像を超えたところにあるようです。

いつかテレビで、女性闘牛士が真夜中、全裸で練習用の闘牛場に立ち、布をひらめかせてリディアに夢中になっている映像を見たことがあります。

彼女は涙を流し、牛への愛がもうどうしようもないほど深くなっていることを告白していました。彼女には、男性であれ女性であれ愛しあう対象としての人間など不要であるかのように、私には聞こえました。

男性の闘牛士セサール・ヒメネスもまた、牛への愛を語っています。子どもの頃からの牛への想いが募りすぎ、闘牛士になるほか、人生の選択肢はなかったと言うのです。

ある日私に、闘牛の写真を撮って欲しいという仕事が舞い込み、セサール・ヒメネスの代理人に連絡をしたところ、撮影許可がおりました。約束の日の朝、通用門から花道に通していただき、カメラを構えながら、派手な装飾を施した馬や槍持ちや関係者たちの間をぬって、すでに撮影陣に囲まれている彼を探し当てたときのことです。

気高い勇壮な姿とうらはらに、内気そうな、心の中の湖に彼のみが知る悲しみを湛えていることを物語る眼差しに気がつき、私は立ちすくんでしまいました。

まとっている衣装を覆う刺繍のきらびやかな光だけが、彼の心の中の誰も立ち寄れない領域を守っているようでした。

ここに、出陣前の彼、セサール・ヒメネスが、衣装をまとうところから闘牛場に着くまでの時間を追った美しい映像があります。

“Cesar Jimenez – Del Hotel a la Plaza – Reportage”「ルポルタージュ:セサール・ヒメネス ーホテルから闘牛場までー」

スペインの職人を追うなら、闘牛士の衣装を作る職人に会いたい。

この連載の当初からあった念願であり、長い間考えていたことでもあります。

今回の 「スペイン職人物語」闘牛士編が、単なる職人の話で終わるのか、闘牛士の心の領域まで迫ることができるのかは、わかりません。あるいはどちらからも取材を拒絶されるかもしれません。できるところまで、近づいてみたいと思います。

Photo/ ©KawaiTaeko. All rights reserved.

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
ライター・フォトグラファー。取材で多くの起業家に会い、スペインのニーズを直接聞く機会が多いことからビジネス・マッチングのKimi Planetも立ち上げた。こちらは本名河合妙子で活動。トレド美術学校にて広告写真講師、書道講師。大学時代に資格を取った日本語教師にも就き、スペインのマンガ・オタクたちに日本語を伝授中。趣味は小説。英・仏・中・西・日で好きな作家たちの小説を読み、各言語の美しさ・思想の深さに浸り味わう幸福は別格。今後は言語学をテーマに、面白くて、わかりやすくて、覚えやすい語学の本を書いていきたいという意欲がふつふつと湧いています。
フォトギャラリー:www.kimiplanet.com 事業HP:    www.kawaitaeko.com