第39回 旅の神様(上)

営業再開に向けて修復中のムンバイのタージマハル・ホテル(2009年4月撮影)

2016年6月にトルコ・イスタンブールの空港がテロ攻撃されたときのこと。そのアタテュルク国際空港で別のハンドキャリースタッフが乗り継ぎ便を待っていた。彼が乗る予定の便だけでなく、どの便も軒並み遅延。しかも遅れはどんどん長引いていく。飛行機に乗ろうにも乗れない人々が通路にあふれ、待ちくたびれて座りこんだり寝そべる人も出るありさま。これはなにごとかと東京に電話して、同僚はやっとテロが起こったことを知った。ドンパチの最中にいないかぎり、渦中は存外静かなものなのである。

2010年12月、チュニジアまでの道中でジャスミン革命が始まってしまったため、チュニス・カルタゴ国際空港でブツを引き渡し、そのままとんぼ返りしたスタッフもいた。エジプト・カイロではあまりに頻繁にテロが起こるので、いつのことだったか正確には思い出せないが、数年前に爆弾騒ぎがあったときにちょうど空港に居合わせたスタッフもいた。

2016年1月、インドネシア・ジャカルタのスターバックスが襲撃されているのを、都内にいながらにしてネットの生中継で見ていた。あのサリナデパートがある通りには、マクドナルド、KFC、ピザハット、バーガーキングなど、アメリカのファーストフードが軒を連ねている。ちょうどテロの3カ月前、小火でサリナデパートが臨時休業していて入れず、仕方なくマックで涼みがてらお茶を飲んだ。定宿にしているブロックM地区にほど近く、あのあたりには散歩がてらよく行くのだ。

ところで、私はイスラム圏のスタバにはまず入らない。ボディチェックを受けた客しかいない空港内や警備の厳重なショッピングセンター内の店舗なら行くことはあるが、誰にでもオープンなロードサイド店舗に行くことは絶対にない。発展途上国ではスタバは高級店であり、お客はもっぱら外国人と“西洋かぶれ”の富裕層なのだ。

2016年7月、バングラデシュのダッカで日本人7人を含む22人が殺害されたテロはまだ記憶に新しい。襲撃目標となったのは外国人に人気のカフェだった。ジャカルタではスタバ襲撃の7年前にも、マリオットとリッツカールトンが爆破されている。2008年にはインドのムンバイでやはり外国人に人気のカフェと五つ星ホテルが同時多発テロの標的となっている。

つまり、郷に入っては郷に従えということだ。異教徒であることを自覚し、宗教を含むその国の文化に敬意を払った上で、現地の庶民と同じところで同じものを飲み食いし、同じようにふるまっておけば、まず間違いはない。ホテルについている星はせいぜい三つで十分、四つもあれば上々だ。なにを好き好んでわざわざ自分からテロリストに狙われるようなところにのこのこ出向く必要がどこにある?

最近、また日本人の若者が殺された。コロンビアのかつて麻薬カルテルがあった町で強盗にスマホとタブレットを奪われ、犯人を追いかけたところを銃撃されたそうだ。2014年にもエクアドルでタクシー強盗にハネムーン中の新婚夫婦が襲われ、男性が亡くなった。高いホテルのハイヤーを断り、流しのタクシーを拾って事件に遭ったそうだ。

なにはともあれお二人のご冥福をお祈りします。しかし、彼らは自分がいる状況をこれっぽっちも把握していない。宿替えを伴う移動以外で不注意に高価なガジェットを持って回るものではない。路上でそれらをちらっとでも見せたなら、運が悪かったのではない。自ら悪運を引き寄せたのだ。強盗に遭ったら命以外は全部差し出す。その際、賊の顔はなるべく見ないようにする。顔を覚えられたと思わせたら、口封じに殺されるかもしれないからだ。ラテンアメリカの多くの国では、タクシーは信用できない。しかも動く密室だから、どこに拉致されるかわからない。強盗も誘拐も強姦も起こりうる。安全が金で買えたら安いもの。そこだけはケチらずに金で解決すべし。死んでしまったら元も子もない。

柄にもなく偉そうに一席ぶってしまった。死者に鞭打つようで申し訳ない。乳母日傘で育った日本仕様の日本人は第三世界には歯が立たない。小柄で襲いやすいわ、従順でだましやすいわ、好い鴨である。途上国で身を守るために必要なのは、知識よりも教養よりもとにかく経験値だ。なにごとも難易度は段階を経て上げていくべきものだ。万が一、なんらかの理由でいきなり難易度の高い国に行くとしたら、最近実際に渡航した人から話を聞くなどして、せめて事前の情報収集だけはぬかってはならない。脇が甘いと痛い目を見る。

おかげさまで私自身は運び屋としては極めて平穏無事に今日までやってこれた。稼働率が高い割には幸運にもなにごとにも遭っていない。他の事柄を司る神々がことごとく私を見放しても、そんな私を憐れむかのように殊に旅の神様だけはいつも見守ってくれている。

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。
新宿ネイキッドロフトでの旅イベント「旅人の夜」主催。2016年現在、50カ国を歴訪。オフィス北野贔屓のランジャタイ推し。処女作『棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

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