第41回 旅の神様(下)

タクシン派が座りこみを続けるバンコク中心部(2010年5月撮影)

右手の人差し指の感覚が鈍いのは、アルゼンチン・パタゴニアでの凍傷の後遺症である。左の足首が腫れているのは、スペイン・アンダルシアの山奥で足をくじいたせいだ。左のふくらはぎと右の太ももにある傷は、中米グアテマラで犬に噛まれた跡。幸いにして銃創と刺創はまだない。

強盗、盗難、詐欺、恐喝、急病、怪我、遭難、暴動、拘束。旅先でさんざんな目に遭って傷だらけになって、ようやく忘れていた身体感覚を取り戻した。やっと自分の体を慈しむことができるようになった。ひとつひとつ、我が身に降りかかろうとしていることを回避し、すでに降りかかったことを解決して、歪みのないまっすぐな自尊心が生まれた。

南米一周に費やした2年3カ月を含む、スペイン語圏での延べ5年を超える予測不能な日々と引きかえに失くしたものもあったけれど、総じて得たもののほうが多かった。

アマゾン川を航行する船の上でひどい食中毒になっても、パタゴニアの山中で紅葉狩り中にいきなり猛吹雪に見舞われても、ボリビアで乗っていた長距離バスが暴徒に襲われても、ベネズエラで賄賂ほしさに悪徳軍人どもからいわれのない扱いを受けても、無事に切り抜けられたのは私が私であったからだという自負がある。

スペイン留学中にこんなことがあった。マドリッドの古いアパートの台所で肉を焼いていた。煙を外に逃がそうと窓のサッシに濡れた手をかけたとたんに感電した。右手から左足に抜ける途中で心臓がバクンと盛り上がり、肋骨に当たったのがはっきりとわかった。右利きだったからよかったものの、もし左手で窓枠に触れていたら死んでいたかもしれない。日本では考えられない安普請ゆえの漏電。スペイン語の教科書に“chapuza”(やっつけ仕事)という単語が載っている理由が骨身にしみてよくわかった。

グアテマラからの機内食が原因で日本でアメーバ赤痢を発症した。高熱が出て血便が止まらず、夜中に緊急外来に担ぎこまれた。あいにく宿直医は門外漢で、その翌朝専門医が来る時間に出直した。専門医は昨晩と今朝の採血のデータを見比べて言った。「昨日は即入院レベルのかなりひどい状態だったのに、今日はもうほとんど治っています」。信じられないという顔つきで、しかも少し呆れてさえいる口振りだった。人体の驚異である。

フィリピンでは謎の風土病にかかった。帰国後、1ヶ月寝こんだ。原因不明の微熱が続き、足のつけ根がひどく痛む。ニキビや虫刺されが膿んで全然治らない。町医者は首をひねるばかりで「熱帯には未知のウィルスもいるでしょうし」と恐ろしいことを言う。抗生物質を飲んで安静にしてなんとか完治した。ふとこの話をTBS『クレイジージャーニー』に少数民族マニアとして出演したこともある、強者バックパッカーの友人にしたところ、彼はセブ島でまったく同じ症状にかかったことがあると言う。私はパラワン島だった。二人とも海岸の岩場で足を切ったのが発端だった。まさかリゾートでこんなことになるなんて!

インドネシアではこんなこともあった。透明度抜群で魚影も濃いメナドの海でシュノーケリングをしていた。耳に海水以外のなにかが入ったような気がした。しかし、その後しばらくはなにごともなかったので、ガイドと同行者と一緒にチャーターしていた車に乗りこんだ。ガイドツアー中の8時間は地獄だった。なにかが鼓膜を鋭利なもので突いてくる。そのたびに激痛が走った。時折それが治まるとなにやらぶつぶつという音がする。ようやく町の耳鼻科に担ぎこまれた私の耳から、あさりの味噌汁にまれに入っているサイズのカニが飛び出してきた。診てくれた町医者はさも愉快そうに言った。「もう何十年とここで開業医をやっているが、耳からカニが出てきた人はあなたが初めてです」。それ以来、ことあるごとに「耳にカニが入っていないだけで幸せ!」と私は言い続けている。

気温30度の東南アジアから体感気温マイナス30度の真冬のシカゴへ立て続けに飛んでも屁の河童。生まれてこの方、インフルエンザに一度もかかったことがない私は、獣並みの体力と回復力を持っている。ラクダは倒れたときが死ぬときなのだそうだ。それまで具合が悪そうな素振りひとつ見せず、いきなりばったり倒れてそれっきりもう動かなくなる。私は砂漠を行くラクダのような生き物なのかもしれない。

この原稿はエジプト・カイロの定宿にしている四つ星ホテルのクイーンズサイズベッドに寝っ転がって書いている。ドーハからカイロまではエコノミークラスが満席だったのか、アップグレードされてビジネスクラスに乗ってきた。これまでプライベートでしてきた旅に比べたら、運び屋としての旅はまるでお大尽様のようだ。便座のない洋式トイレでバックパックを担いだまま中腰で用を足したり、汚れた床に衣類をまったくつけることなく着替えたりするような特殊能力を遺憾なく発揮する機会がなくて残念至極である。

運び屋として唯一“やられた”のは、タイ・バンコクのホテルのフロントによるスキミングだ。ナナ地区にあるそのホテルはコンドミニアムタイプで、日本人のビジネスマンが多く利用している。帰国後しばらくしてカード会社から電話がかかってきた。茨城だか栃木だか北関東のイトーヨーカ堂でカードを使ったか? と尋ねられたが、そのような事実はない。どうもそのホテルの日本人宿泊者のカードがかたっぱしから不正使用されたらしい。引き落としまでに時間があるクレジットカードならスキミングされてもまず大丈夫だが、即座に引き落とされるデビッドカードはひとたまりもない。不測の事態に備えてクレジットカードは常に三種類を携帯しているが、デビッドカードは一枚も持っていない。

まあ、どれだけ用心していても運が悪ければ人は死ぬ。だから、お守りとして米軍がベトナム戦争時に使っていたドッグタグをつけている。死人には口がないが、認識票は持ち主が誰かを語る。

軍人はドッグタグが反射したり音を立てたりしないように、黒く塗ったりサイレンサーをつけたりしている。戦場で死に直面しているわけではない私の銀色のドッグタグは、まだ10代だったある日京都の新京極にあるミリタリーショップでつくったもので、当初サイレンサーとしてつけていたゴムパッキンはいつのまにか劣化して切れてしまった。

30歳を超えるまで自分が生きてるなんてとても思えなかったティーンエイジャーは、紆余曲折した長い長い道草を食って今の私まで至る。いつも不貞腐れた顔をしていた彼女に「あなたにはいつも旅の神様がついているからね」と教えてあげたい。

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトでの旅イベント「旅人の夜」主催。2017年現在、50カ国を歴訪。オフィス北野贔屓のランジャタイ推し。処女作『棄国子女-転がる石という生き方』(春秋社)絶賛発売中!

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