第4回 行きつけの国~その1韓国~

 

再建後の南大門

8月半ばからずっとハンドキャリーで週1で韓国に通っている。あまりに大韓航空にばかり乗っているので、キャビンアテンダントの一番えらい人が私の座席まで挨拶にくるようになり、日帰りでソウルに行く労をねぎらってか、ついにはビジネスクラスにアップグレードまでしてくれた。恐縮である。

韓国とのつきあいは、運び屋になるずいぶん前から始まった。

初めての渡韓はまだソウルオリンピック前のこと。韓国人の友達の結婚式に招かれた。開発前のソウルは戦後の闇市のような路地が残っていた。オンドルの効いた旅館でテレビをつけると韓国軍の運動会をやっていた。当時、日本に入ってくる韓国映画は日帝支配や労働問題を取り上げた重い社会派の作品ばかり。ポンチャックというあか抜けないテクノが日本でも流行った。

2000年、大韓航空で初めて太平洋を越えた。ロサンゼルスまでたしか3万円くらいだった。当時、同社は「飛ぶ棺桶」と呼ばれていた。同航空機がソ連に撃墜されたのも、北朝鮮の工作員に爆破されたのも、まだ記憶に新しかった。棺桶にしては機内食の温かいピビンパはおいしかった。

韓国に通う間に、国宝の南大門が焼失し、再建された。キムチをはじめ、韓国料理はどんどん辛くなくなり、にんにくのにおいも控えめになった。以前は3キロパックのキムチが簡単に見つかったものだが、今はそんな大容量のものはお目にかからなくなった。

以前の韓国は乗り物と食べ物が安かったが、今の物価は日本とさほど変わらない。明洞で買い物するよりも、新大久保のコリアンタウンの方が安いものも多い。PSYのヒップホップ『江南スタイル』が世界を席巻し、ドラマとK-POPアイドルが日本に韓流ブームを巻き起こした。変われば変わるものである。

私自身はローマやロンドンで韓国人宿に泊まり、ロサンゼルスのコリアンタウンで韓国料理を食べ、パク・チャヌク監督とシン・ハギュンという俳優が好きな韓国映画ファンだ。今週は久しぶりに釜山へ飛ぶ。

片岡恭子(かたおか・きょうこ)/プロフィール
1968年京都府生まれ。同志社大学文学部社会学科新聞学専攻卒。同大文学研究科修士課程修了。同大図書館司書として勤めた後、スペインのコンプルテンセ大学に留学。中南米を3年に渡って放浪。ベネズエラで不法労働中、民放テレビ番組をコーディネート。帰国後、NHKラジオ番組にカリスマバックパッカーとして出演。下川裕治氏が編集長を務める旅行誌に連載。蔵前仁一氏が主宰する『旅行人』に寄稿。新宿ネイキッドロフトで主催する旅イベント「旅人の夜」が6年目を迎える。ロックバンド、神聖かまってちゃんの大ファン。2013年現在、46カ国を歴訪。

以下、ネット上で読める執筆記事
春秋社『WEB春秋』「ここではないどこかへ」連載(12年5月~13年4月)
カジュアルプレス社『月刊リアルゴルフ』「片岡恭子の海外をちこち便り」連載中(08年8月~)
東洋マーケティング『Tabi Tabi TOYO』「ラテンアメリカ de A a Z」連載中(11年3月~)
朝日新聞社『どらく』「世界のお茶時間」ハーブの国の聖なるお茶 Vol.22 ペルー・アンデスのマテ茶(10年2月)
朝日新聞社『どらく』「世界の都市だより」リマのひと マテオの口元ほころんだ(06年11月)
NTTコムウェア『COMZINE』「世界IT事情」第8回ペルー(08年1月)