第12回 村の“保育所”

私が西アフリカのブルキナファソで住んでいた村は一夫多妻制だった。夫の家および、各妻とその子どもたちの小屋が中庭を囲むように建っていた。居候先の村長の家でも、6人の妻と26人の子どもたちがともに暮らしていた。

村の子どもたちは小さい頃から畑仕事を手伝う

村の子どもたちは5歳くらいになると男の子は父親の畑へ、女の子は母親の畑へ一緒に働きに出る。それよりも小さい子どもは母親が背中に負ぶうか、村に残る人に預けるのが常だった。

野外調査と称してお年寄りなどに話を聞きに回っている私はさぞ暇に見えたのだろう。一緒に住む村長の奥さんのみならず、近所の奥さんたちまでがこれ幸いと私のところに子どもを置いていくので、昼間の私はほとんど保育所の保母さんだった。

子どもをもった経験がない私はおっかなびっくりで首のすわらない赤ん坊ばかり目の前に6人も並べ、何をどこから手をつければよいのか困り果てたものだ。赤ん坊の方も私の腕の中で「変なのに抱かれてしまった」とからだを硬くして見上げてきて、しばし途方にくれたもの同士みつめあったりもした。

ときに赤ん坊から2、3歳の幼児まで20人近く預かることもあったが、これだけの数の子どもがいると大変なのはシモの世話だ。食事のせいか衛生状態のせいかはわからないが、ここの子どもたちのうんちは硬くならない。しかも紙おむつどころか、赤ん坊は布にくるんであるだけ。ほとんどの子どもは自分で始末ができないので、あっちでも垂れ流し、こっちでも垂れ流しということになる。

そんなとき強い見方になってくれるのが、たいていの家が猟のため飼っている犬だ。犬は飼い主の家族の食べ残しをもらうのだが、人間の食料さえ十分でないサヘル(サハラ砂漠南部の半乾燥地帯)にあって彼らの取り分は少ない。そんな犬にとって人間の排泄物はご馳走だ。子どもがうんちをしてしまったら犬を探せばいい。「バーバクレ!(犬よ、来い)」とその辺にいるはずの犬を呼び、赤ん坊のお尻やくるんでいた布をなめさせ、抱いていた子どもが漏らした場合は私の服もなめてもらう。その後で布や服を洗えば使う水も少なくてすむ。水も食料も貴重なこの地にあっては一石二鳥のやり方なのだ。

そんな私の“保育所”には赤ん坊だけでなく、いろんな人たちがやって来る。畑仕事をさぼった子どもたちの避難所にもなっていたのだ。

ある日、近所の家の女の子で、11歳になるラブアンがやってきた。この年頃の子どもなら当然畑に出ている時間だ。なにくれと他の子どもたちの世話を手伝ってくれるが、どうもさぼりにきているらしい。午後になって母親がやってくると、ラブアンをひどく叱って家に引っ張って帰った。聞くところによると、お姑さんの畑を手伝う日だったのに行かなかったらしい。

村では子どもの結婚はとても早く決まる。女の子なら7歳ほどで婚約者をもつ場合が少なくない。もちろん相手は親が決める。実質的な結婚生活に入るのは15歳くらいになってからだが、6歳にもなれば嫁ぎ先の仕事の手伝いに行くことが多い。ラブアンがうちに来たのはその日だったのだ。

彼女の友だちが言うには、ラブアンは自分の婚約者が気に入らないらしい。彼女より18歳も年上の29歳で、すでに3人も妻がいた。一夫多妻制において家庭内の発言力は第1夫人が最も強く、第2夫人、第3夫人となるにしたがって弱くなる。しかも2歳下の妹の婚約者に都会での出稼ぎ経験のある18歳の若者が決まり、ラブアンはすっかりヘソを曲げてしまった。妹も第2夫人としての結婚だったが、それでもラブアンは妹が羨ましくて仕方がなかったのだ。

ここでは親の決めた結婚は絶対だ。長老が子どもたちに繰り返し語る昔話にも、親の決めた結婚に逆らって不幸になる娘の話がいっぱいある。縄跳び遊びでも、次に跳ぶ子の名前を呼ぶときには婚約者の名前を一緒に呼ぶなど、どの子が誰と結婚するかは村では周知の事実だ。そんななかで子どもたちにできる意思表示は、せいぜいこうやって畑仕事をさぼってみせるくらいなのだ。

私は前回村を去るとき、「サッカーボールを持ってきて」と子どもたちに頼まれ、今回お土産に買ってきた。先日、ラブアンがそっと私のそばに寄ってきて言った。

「次に来るとき、私に日本人の夫を持ってきて」。

はてさて、どうしたものやら。

この記事は『こどものとも 年中向き』1998年8月号(149号)折り込みふろく「子どもたちは今 -ブルキナファソ編 その2 ヌママの小さな「芸術家」」を加筆・修正したものです。

板坂 真季(いたさか まき)/プロフィール
前々回の話に登場した足を怪我をした少女がラブアンだ。村人いわく“運に恵まれた子”である彼女が、幸せな結婚生活を送れていることを祈ってやまない。