第1回 日本に帰国する3つの理由

22年間のパリ生活にピリオドを打ち、日本に帰国することにした。

一番の理由は、15歳の発達障害の息子を入れたい高校が日本で見つかったこと。すでに色々なところで発言して来たが、フランスは自閉症・発達障害のサポートが非常に遅れていて、就職を意識する年齢になる息子をこのままフランスの普通校に通わせることに大きな不安を感じていた。しかも、その日本の高校が私が生まれ育った神奈川県の田舎町にあったので、これは何かの縁、とすぐに帰国の可能性を探り始めたのだ。

もう一つは老親の介護問題。大多数のアラフィフが抱えている問題であろうが、特に何かあっても簡単に日本の親元に駆けつけることができない海外在住組にとっては、深刻である。親との仲がよろしくない私のような人間にも、たまの帰国時に、“親の面倒”に関して、親せきから苦言を受けたりと、じわじわとのしかかって来ていたのである。

また、ゆくゆくは日本に帰国するつもりなら、今のうちに日本にベースを作っておくべき、と考えたこと。フランス在住日本人の間でも、老後(人生100年時代、何歳からを老後と呼ぶのか分からないが)をどこで過ごすかということが話題になる。つい最近、70代の日本人女性がフランス人の連れ合いに先立たれ、子どもがいないので、パリの不動産を処分して、日本に小さな家でも購入しようと思ったところ、日本に住所がないため、銀行口座が作れず、送金もできず途方に暮れている、という話を聞いた。親が亡くなり、帰る家もなく、頼れる家族親戚がいないとなると、年をとってからの帰国は難しいだろう。

今なら、田舎町に両親の家が残っている。築50年で足の踏み場もないほどモノをため込んだ、ぼろぼろのごみ屋敷だが、雨露がしのげ、息子の通学にも便利だ。さらに、両親は二つ先の駅の町にある老人ホームにいるので、何かがあればすぐに様子を見に行くことができるし、ありがたいことに同居のわずらわしさはない。また、実家は父にとって、友人の建築家が建ててくれた思い入れのある家なので、私が住むことを父は喜んでいるようだ。ただ、正直に言えば、私にとっていい思い出のない家であり、子どもの頃はそこを出て行くことばかり考えていたのだけれど。

そんな場所に、30年以上経って、再び戻ることになるとは……、人生何があるか分からない。

江草由香(えぐさゆか)/プロフィール
編集者・ライター・通訳・翻訳者・イベントコーディネーター。
立教大学仏文科卒。映画理論を学ぶために96年に渡仏し、パリ第一大学映画学科に登録。フランスでPRESSE FEMININE JAPONAISEを設立し、99年にパリ発フリーペーパー『Bisouビズ』を創刊し、現在日仏バイリンガルサイト『BisouJaponビズ・ジャポン』の編集長。個人ブログは『ビズ編集長ブログ』