島の数日本一、海岸線の長さ全国二位という長崎県で唯一、海に面していない自治体がある。佐賀県との境にある緑豊かな波佐見町(はさみちょう)。小高い山に囲まれた盆地に棚田が美しく、きらきらと川が流れる。東京の世田谷区とほぼ同じ面積に人口約1万4千人(世田谷区は92万超)。あの賑やかなハウステンボスから車で25分、こんなにのどかな山里に来てしまうことに驚くが、町の歴史は古い。約400年前から途絶えることなく焼かれてきた「波佐見焼」の産地である。
和食器産地別出荷額の資料(※)によれば、岐阜県の美濃焼、佐賀県の有田焼に次いで長崎県の波佐見焼が多い。しかし、茶の湯に欠かせない美濃焼、伊万里の異名で世界に知られた有田焼に比べ、波佐見焼は生産量の割に知名度が低かった。芸術性より実用性が強みだったからだ。丈夫でシンプルで自己主張が強くない。1590~1610年頃に最初の波佐見焼が登場して以来、波佐見焼は「普段の器」として広く使われている。
江戸時代の波佐見焼といえば、「コンプラ瓶(びん)」と「くらわんか碗」が代表的だ。コンプラ瓶は、太めの一輪挿しのような姿、白地に藍文字で「JAPANCH(日本の)」、「ZOYA(しょうゆ)」、「ZAKY(酒)」といったオランダ語が書かれ、長崎からヨーロッパへの輸出に使われた。ぽってり愛らしいコンプラ瓶は今、インテリアとして人気がある。安く流通しているのはレプリカで、本物は貴重品だ。海外で偶然見つかったものは骨董店やコレクターにより数万円で取引されている。
くらわんか碗は、普通の茶碗より大きく丼より小さい、富士山をさかさにしたような素朴な碗。簡素な絵柄のものが多い。江戸時代、大阪の淀川に舟で飲食物を売る業者がおり、ご飯や汁物をこの碗に盛って、「くらわんか」(食わんのか)と声をかけて売りつけたのが由来。まさに庶民向けの器、要返却の商売道具であった。くらわんか碗は最近その良さが見直され、手頃な価格で販売されており、私も一つ持っている。
地味とか存在感が薄いとか言われても、逆に考えれば、無駄がない、飽きがこない、何にでも合わせやすいから料理の妨げにならない。こうした点が評価され、ロングセラーになる。給食やレストランで用いられる頻度は高く、一般家庭にも普及している。日本製の磁器で、軽くて丈夫な無名の器は、波佐見焼の可能性が高い。小売業者もその扱いやすさに注目し、例えば「無印良品」は、波佐見焼を白い食器シリーズとして販売し続けている。
近年になって、デザイン性の非常に高い、これまでと違った個性豊かな波佐見焼が次々と登場するようになった。波佐見町にはたくさんの窯元、商社があるのだが、展示会や見本市で新作を見ると「これも波佐見焼なの?」と毎回驚かされる。豊富な色彩、繊細な絵付、特殊な技術で、既存の枠を超えてきている。私が特に気に入っているのは丹心窯(たんしんがま)の水晶彫青海波(すいしょうぼりせいがいは)の茶碗。お茶を注ぐと透き通る水晶の粒から中の茶色が透けて、本当に綺麗なのだ。他の窯元でも従来とまったく異なる新しい波佐見焼の作品に出会うことが増え、実用と芸術の両面に広がりを見せている気がする。
波佐見町には電車の駅がないのだが、長崎駅からJRとバスを乗り継げば1時間半位で行ける。車ならもっと便利で長崎中心部から約1時間。佐世保や佐賀の有田、嬉野、武雄とは町が隣接しているのでアクセスが良く、福岡からも高速を使うと早い。春と秋、年末など、年間を通してやきもののイベントがあり、ゴールデンウィークに開かれる「波佐見陶器まつり」が毎年人気である。波佐見焼の購入はもちろん、窯の見学、陶芸体験ができる。郷土料理や温泉もあり、伝統的な窯元が集まる「中郷山」、製陶所跡地にカフェや雑貨店がある「西の原」エリアも面白い。波佐見町さるき、お勧めです。波佐見焼の奥深い世界に触れてみんね。
※出典 タウンページデータベース(2015年10月)
◇写真提供協力 (一社)長崎県観光連盟
(参考)
波佐見町役場(観光情報)/波佐見町観光協会/波佐見陶磁器工業協同組合/波佐見焼振興会/くらわん館(波佐見町物産館)/波佐見めぐりモデルコース(ながさき旅ネット)/MUJIキャラバン(無印良品)
《えふなおこ(Naoko F)/プロフィール》
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。