長崎に新しい世界遺産が誕生する予定だ。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」である。正式登録には来週からの世界遺産委員会を待たねばならないが、5月初めに世界遺産登録勧告が出て、今度こそ決まるだろうと地元では期待と喜びの声が上がっている。
長崎には開国後に建てられたカトリック教会が130以上ある。カトリック信者の人口比は日本全体で約0.341%とわずかなのに長崎県では4.293%であり(2013年調べ)、長崎のカトリック教会を世界遺産にしようという動きがおこった。候補の教会が選ばれ、日本のキリスト教史(伝来から繁栄、弾圧、禁教、復活)をふまえて「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が2015年に推薦されたが、すんなりとはいかなかった。ユネスコ諮問機関イコモスから「禁教期に焦点をあてるべき」と指摘され、推薦取り下げになり、禁教期と潜伏キリシタンを中心に構成資産を見直して、ようやくたどりついた登録勧告だった。
考えればもっともな指摘かもしれない。16世紀半ばにキリシタン大名の庇護を受けて長崎で爆発的にキリスト教が広まり、小ローマと呼ばれて繁栄したのは約40年。秀吉、徳川幕府、新政府による禁教で明治初めまで弾圧を受け、キリシタンが潜伏したのが約260年。禁教が解かれて現在まで145年。つまり日本のキリスト教史は禁教期が最も長い。この間に長崎と熊本・天草の潜伏キリシタンが世代を超えて信仰を継承したことは世界に類をみない独特なもので、潜伏キリシタンの存在があったからこそ、この地域に多くのカトリック教会が建ったといえる。今回の世界遺産候補に選ばれた12の構成資産は、いずれも禁教期および潜伏キリシタンとのつながりを強調している。「さるいてみんね長崎」でも紹介した地域や教会が含まれているので振り返ってみよう。
大浦天主堂 もとは居留地の外国人のために建てられた教会だが、浦上の潜伏キリシタンが訪ねてきて、神父に信仰を告白した「信徒発見」の舞台である。世界遺産登録を前に化粧直しのように外壁を白く塗り直し、キリシタンの博物館も新設されて、長崎カトリックのシンボルとして世界遺産候補の中で最も注目されているのではなかろうか。(第4回居留地)
原城跡 島原・天草の乱の舞台で、激しい戦いの末に島原半島のキリシタンは壊滅させられてしまうが、この乱が徳川幕府に与えたダメージは甚大で、キリシタン弾圧と禁教は徹底されていく。世界遺産登録を目指して原城跡では発掘調査が行われてきた。(第12回 島原) 。島原半島と海をはさんで隣接する天草諸島の崎津(さきつ)では潜伏キリシタンが生きのびて明治に崎津教会が建てられた(崎津集落も世界遺産候補構成資産)。天草は熊本県だが歴史的に南島原と深く結びつき、長崎県寄りの印象がある。
外海(そとめ)の出津(しつ)集落・大野集落 外海は個人的に非常に好きな場所で、広い角力灘に沈む大きな夕日を見ると癒される。禁教期に潜伏キリシタンの集落があり、明治にカトリックに戻った信者のために、外海に赴任したド・ロ神父により出津(しつ)教会堂が建てられる。外海を愛した『沈黙』の作家、遠藤周作の記念館もある。大野教会堂はやはりド・ロ神父の手による小教会である。(第5回 外海)
潜伏キリシタン時代を彷彿とさせる構成資産が平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳・中江ノ島)である。春日集落は1561年に教会があったというが破壊され、現在も教会はない。潜伏キリシタンは安満岳(やすまんだけ)を信仰対象として拝んだ。中江ノ島は、キリシタンの処刑が行われ、殉教者にちなみ島自体が「サンジュワン様」と呼ばれて信仰対象になった潜伏キリシタンの聖地で、島の水は聖水とされる。
ちなみに、16世紀半ばの欧州は宗教改革の最中だったが、日本に入ったキリスト教はカトリックのみである(プロテスタント他の布教は明治以降)。潜伏キリシタンの先祖は皆カトリックだったが、表向きは仏教徒を装い、教会も神父もない中、数世代にわたってひそかに信仰を継承したため、徐々に本来のカトリックから変容していった。彼らは独自のオラショ(祈り)を唱え、納戸に隠したキリストや聖人を模したお掛け絵や、聖母マリアを象ったマリア観音を拝んだ。
ところで「潜伏キリシタン」という語を聞き慣れない方もあるだろう。かつては「かくれキリシタン」と呼ばれ、その方が有名かもしれないが、現在は「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン」は区別されている。「潜伏キリシタン」は、禁教令撤廃後に本来のカトリックに復帰した人々で、「かくれキリシタン」は、禁教が解かれてもカトリックに復帰しないまま、潜伏時代と同じ信仰形態を継承する人々である。潜伏キリシタンはもう存在しないのだが、かくれキリシタンはまだ存在する(学術的に「カクレキリシタン」とカタカナ表記されることも多い)
かくれキリシタンの継承者は高齢化して非常に少数である。神道や仏教、先祖祭祀と融合した面もあり、カトリックでもクリスチャンでもないとなると、バチカンのようにサポートしてくれる総本山がない。集落の人口減少とともに存続自体が厳しくなっている現在のかくれキリシタン集落は、今後どうなっていくのであろうか。特に、今回の世界遺産の構成遺産候補に含まれなかった平戸の生月島には有名なかくれキリシタン集落があるが、やはり継承人口は少ないので、どのように存続されるか非常に気になる。
一方、カトリックに復帰した潜伏キリシタンたちの集落も、すべてが順風満帆ではなかった。多くの潜伏キリシタンが暮らし、禁教が解けた後に次々と教会が建った五島を中心に、離島にある世界遺産候補の集落と教会について触れたいと思う。(後編に続く)
◇写真提供協力 (一社)長崎県観光連盟
◇写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています
(参考)
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産/九州の世界遺産/「潜伏キリシタン」とは/長崎「かくれキリシタン」習俗 文化遺産オンライン
《えふなおこ(Naoko F)/プロフィール》
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。