第5回 外海(そとめ)

 

外海(そとめ)

長崎市中心部から車で郊外の西彼杵(にしそのぎ)半島に向かうと景色が一変する。賑やかな街と大型客船の浮かぶ港は姿を消し、細長い海岸線に緑の丘陵が迫ってくる。海と山に挟まれ走ること1時間弱、外海(そとめ)に到着。2005年に長崎市に編入したこの地区は長らく交通が不便な陸の孤島で、禁教下でキリシタンが多く潜伏した。禁教が解かれると1879年に1人のフランス人神父が外海に赴任する。貧しい住民のために教会を建て、福祉施設を作り、一生を外海に捧げた彼を人々は「ド・ロさま」と呼んで慕った。ノルマンディー、ヴォスロール村出身のマルク・マリー・ド・ロ神父である。

 

出津(しつ)教会堂

ド・ロ神父が設計し私財で建てた美しい教会が出津(しつ)教会堂である。海に面した断崖に棚田や畑が点在する日本の山里に、突如としてフランス風の瀟洒(しょうしゃ)な教会が現れるので本当に驚く。大小の塔を有し、正面に半円アーチが3つ、壁は漆喰で白く、奥行きの深い個性的な建築。周囲をさるくと洗練された中にも素朴な温かみが伝わり、100年以上前からこの教会が外海の風景に溶け込んできたのだと改めて気づく。土産物店も派手な広告もなく、青空と緑の山に包まれた真白い教会は現在も祈りの場であり、地域のシンボルのようである。傍らにさりげなくド・ロ神父の像が建っている。

ド・ロ神父が来た時、半農半漁の生活を送る住民の貧しさはかなりのもので、神父は知識を総動員してヨーロッパの農法、漁法を導入、孤児院や救助院(授産施設)を設立、医療救護も行った。布を織り、醤油、そうめん、パン、マカロニ製造を教え、それらを売って、特に女性の自立を支えた。「ド・ロさまそうめん」という名産品が今もある。教会を含む建築技術のレベルの高さは言うに及ばず、外海の各地に「ド・ロ壁」と呼ばれる丈夫な石積みの壁が現存する。外海の環境に合ったド・ロ壁は、どことなく南欧の薫りもする。70代まで活躍したド・ロ神父は一度も祖国へ戻らず、外海に墓地がある。

 

 

黒崎教会/黒崎教会内部

外海は、作家の遠藤周作ゆかりの地でもある。長崎出身ではないがカトリック信者で、潜伏キリシタンの話を聞き、外海をモデルに有名な小説『沈黙』を書いた。『沈黙』は、殉教できない弱い信者や棄教者の存在を浮かび上がらせた作品で、読まれた方も多いだろう。著作のきっかけになった黒崎教会は、貧しい信徒たちが奉仕し入り江近くの斜面に建てた赤レンガの見事な教会で、正面にマリア像が建つ。リブ・ヴォールト天井が素晴らしく、昨年は吉永小百合、二宮和也主演の映画『母と暮らせば』のロケが行われた。

 

海の夕陽は天使のはしご

遠藤周作は外海を「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と評しているが、わかる気がする。外海の海岸から遠くにうっすらと見える五島列島へ、多くの潜伏キリシタンが弾圧を逃れて渡った。五島の方角に広がる角力灘(すもうなだ)に夕陽が沈む時、雲の切れ間から無数の金色の光が海に差し、「天使のはしご」が降りている様子は、息をのむほど美しい。外海の真っ青な海に面して、遠藤周作文学館があり、「沈黙の碑」が建てられている。

外海が潜伏キリシタンの里になった理由は、貧しい僻地だった、長崎奉行や幕府の手の届きにくい佐賀藩の支配地だったなどあるが、日本人伝道師バスチャンの存在も大きい。外海に潜伏したバスチャンは、教会も神父もない中で信仰を続けるために「バスチャンの日繰り」という暦をもたらした。捕まって殉教する際、7代のちに神父がやってきてキリシタンが自由になるという「4つの予言」を遺す。詳しくは外海歴史民俗資料館で見ることができる。また、枯松神社というキリシタンを祀った珍しい神社が外海にあるが、バスチャンの師のサン・ジワンという人物の隠れ家だったという。これら見どころの多い外海は、バス、車など交通手段が限られるが、現在はアクセスが良くなっているので、ぜひともさるきに来てほしい。

参考)外海地区ド・ロ神父出津教会堂ド・ロ壁黒崎教会リブ・ヴォールト天井遠藤周作文学館バスチャン長崎市外海歴史民俗資料館枯松神社

えふなおこ(Naoko F)/プロフィール
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。