第4回 居留地

大浦天主堂の坂

春の長崎は美しい。路面電車に満開の桜。深い藍から淡い青に変わる海の色。観光客が増え、修学旅行の学生もやってくる。彼らの多くは大浦天主堂とグラバー園に足を運ぶ。華やかで、どんなガイドブックにも必ず写真が載っているこれらの名所は、旧外国人居留地にある。海岸から山の手の一帯に見どころが点在し、石畳の歩道と長い坂が続く居留地をさるくには、歩きやすい靴のほうが良いだろう。

 

 

 

 

鎖国時代の長崎は、出島にオランダ人、唐人屋敷に中国人を住まわせたが、開国後は新しく来た欧米人のために大浦、東山手、南山手に11万坪の広大な居留地が造成された。眺望が良い場所には西洋風の住宅や領事館、港近くに商館、倉庫、ホテル、銀行、病院、娯楽施設ができて賑わったという。今も残る建物から往時をしのぶことができる。全体をさるくなら数日間はかけたいところである。

 

 

東山手十二番館/東山手甲十三番館

その中でひときわ美しい大浦天主堂は、現存する日本最古の教会、国宝、世界遺産候補。殉教した二十六聖人に捧げられ、「フランス寺」と呼ばれた。維新直前の1865年3月17日、ある奇跡が起こる。幕府の弾圧を逃れて250年も潜伏したキリシタンの子孫がここを訪れ、信仰を告白したのだ。有名な「信徒発見」である。この後、「浦上四番崩れ」という最後の大迫害が起こるが、欧米から非難を浴びた挙句、遂に明治政府は国民にキリスト教信仰の自由を認める。

 

大浦天主堂/入口に立つ聖母

ゴシック様式の洗練された外観、入口に立つ静謐な聖母、どこから見ても絵になる教会は、いくら眺めても飽きないが、周りには大勢の観光客やタクシーがいる。教会下の坂にも土産物店がひしめき、混雑して落ち着かない。私自身も最初の長崎さるきが大浦天主堂で、感動した人々が夢中で写真を撮るのもわかるが、もっとひっそり見学したい。拝観料を払って教会に入ると外ほど混雑しておらず、ステンドグラスが柔らかく光る聖堂の脇に、かくれキリシタンが決死の覚悟で会いに来たサンタマリア像が今も安置されている。

 

大浦天主堂横の祈念坂を上ると、グラバー園がある。(映画のロケにも使われる祈念坂は情緒があるがなかなかきつい。大回りだがグラバースカイロードというエレベーター付きの別ルートもある。地元住民もこのエレベーターを利用している。)グラバー園には長崎で活躍したトーマス・グラバーや、オルト、リンガーといった著名な外国人の邸宅があり、異国情緒の粋を集めたところで、長崎港と対岸の稲佐山が一望できる。旧グラバー住宅は世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産にもなっている。長崎さるきに間違いなくお勧めである。

 

 

グラバー園/旧グラバー邸

スコットランド出身のグラバーはビジネスの立役者で、炭鉱、造船、武器売買など多岐の事業に携わった。園内にグラバーの家系図があり、日本女性を母に持つ息子、倉場富三郎(くらばとみさぶろう)も商人だった。富三郎は、「グラバー図譜」という、長崎近海の魚類を緻密に描いた精巧な図鑑の編纂者でもある。華やかな父グラバーに比べ、富三郎の運命は過酷だった。太平洋戦争中にスパイ容疑をかけられた彼は、長崎への原爆投下後に自ら命を絶ってしまう。

激動の日本で数奇な運命を過ごしたグラバー父子の姿に触れ、広い園内をさるくと、長崎が舞台のオペラ「蝶々夫人」に扮した歌姫、三浦環(みうらたまき)の像があり、作曲家プッチーニの像も見える。アリアの歌詞のままに、晴れた日に海のかなたから大型船が港に入ってくる風景を見ながら、ゆったりさるいていただきたい。

(参考)大浦天主堂 浦上四番崩れグラバー園倉場富三郎

えふなおこ(Naoko F)/プロフィール
子供時代から多様な文化と人々に触れ、複数の言語教育(日本語、英語、スペイン語、フランス語、韓国語)を受ける。テレビ局、出版社、法律事務所勤務を経てフリーランサー(翻訳、ライター)。

【追記】この原稿を書く間に、熊本、大分を震源とする大地震が発生し、犠牲者および各方面への甚大な被害が出ました。海を挟んで隣接する長崎では被災者への支援が始まっています。まだ余震が続き、人々の生活や産業への影響が心配ですが、一日も早く日常を取り戻せるように願ってやみません。