去る3月2日金曜日の朝のこと。異様な音で目が覚めた。上空でやたらヘリコプターが飛んでいるのだ。顔を洗いスマホに目を向けると、いつもとは明らかに違う量のメッセージが入っている。嫌な予感がしながらもいちばんに末息子からのテキストに目をやると、“Don’t leave the house. Campus Shooting. 2 dead.”(家を出るな。キャンパスで銃撃、2人死亡)と書かれていた。
あわててコンピューターの電源をいれると、速報として夫と末息子が勤務する“Central Michigan University”という文字があちこちから飛び込んできて、キャンパス内にある寮で銃撃により2人が亡くなり容疑者は銃を持ったまま逃走中であることを伝えていた。
ニュースで事件を知った長男、次男も安否確認と注意を促すための連絡をよこしていた。どうも息子たち全員が「何も知らずのん気にキャンパスに夫を送って行く母の姿」を想像したようだ。大学の緊急時連絡番号として登録している家の電話には、「大学内キャンベルホール4階にて銃撃が発生」という留守電メッセージが入っていた。
我が家とキャンパスは車でほんの5分。徒歩でも行ける距離だ。ふだんはのんびりとした平和な大学町なので、鍵さえかけずに暮らしている。容疑者が逃走中とのことなのでまずはドアに鍵をかけた。午後から大学に向かう予定で、ゆっくり朝寝坊をしていた夫に顛末を伝えた。春休み前の雑務をこなすためなんとしても今日はオフィスに行かないと困るというが、安全確保のため学内はすでに封鎖され、キャンパスへの立ち入りはできない状態のようだ。あきらめるしかない。
この日は、翌日からの春休みを前に、寮で暮らす学生たちを迎えに多くの親たちが遠方から来ていたが、待機所として大学が準備した近くのホテルに誘導された。親たちは、事件現場となった寮内に残されたままの我が子たちを気遣いながら、待機場所から事件の行方を見守った。広大なキャンパスの各建物全ての出入りが制限され、すでに学内に居た者は実質上建物内に缶詰となった。
大学のみならず、地元の幼稚園から高校までの学校も封鎖措置がとられた。こうして、寮の小さな1室で起こった犯罪が、市内全域においてそれぞれに緊張の時間を強いる大騒ぎとなった。学校のイベントや活動はもちろん、ハイスクールの生徒たちがこの日のために一生懸命練習してきたハイスクール・ミュージカルの公演もすべてキャンセルとなった。演目が“Catch Me If You Can”(できるもんなら捕まえてみろ)というのは、何かの因縁?かと苦笑いするも、冗談を言っている場合ではない。危険回避が第一である。
市内の学校内で待機させられている子どもたちの帰宅時間が刻々とせまっても一向に容疑者は捕まらない。結局、保護者が身分証明書を提示しそれぞれの学校に子どもたちを迎えに行くという方法で、園児、児童、生徒たちは帰途に着いたが、相変わらず上空にはヘリコプターが飛んでいる。地元警察だけでは足りず、州内から武装警官も派遣され、ライフルを携え、犬を連れた迷走服姿の警官がうろうろしていて、家の中にいても落ち着かない。
そんな午後を過ごすうちに、射殺されたのが容疑者の両親であることがわかってきて、容疑者の顔写真も公表された。まだあどけなさの残る19歳の学生で、とても犯罪を犯すようには見えない。ご両親は他の親同様、春休みに入る息子を大学の寮に迎えに来て射殺されたのだ。父親はイリノイ州シカゴ近郊都市の警察官であり、銃を携帯していた。息子は父親の銃を使ったようだ。
この日、結局家から出ることもできず、ただただ行方を案じていた。大学からの緊急連絡は更新情報を伝え続けてきた。それによると、学内での移動は制服警官の誘導を守るように指示されている。朝の8時から大学図書館内のオフィスで勤務している末息子はどうするのか? と気になりかけたころ、「腹減った~!」と叫びながら帰宅した。缶詰の場所によっては、緊急措置で食べ物が配られたところもあったが、図書館内ではその恩恵はなく、外にも出られずでランチにありつけなかったそうだ。腹ペコなのに警官の誘導を待っていてはいっこうに帰れそうもないから、逃げてきたという。日付が変わって3日となり深夜1時過ぎに「捕まった」という連絡。「良かった。これで平常通りに暮らせる」心からそう思った。
まだまだ事件の全容は解明途中だが、実の息子に撃たれて亡くなったご両親の無念を思うと胸が痛む。「罪を憎んで人を憎まず」そう思うと、未来ある若者の病んだ心が起こしてしまった事件にも子を持つ親としてやるせない気持ちになる。
春休みが終わり学生たちは再び大学に戻ってきた。中には現場となった寮で暮らさなければならない学生たちもいる。心のケアのためのカウンセリングも用意されているので、早くショックから立ち直ってほしい。本来安全でなければならないはずの教育現場で、銃犯罪による緊張と心の動揺を身をもって体験した学生たちにとって、銃社会で生きざるを得ない現実をより考えるきっかけとなったことはまちがいない。
ほんの2週間ほど前の2月14日、フロリダ州パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラスハイスクールで17名もの罪なき犠牲者を出した銃乱射事件は記憶に新しい。脳裏によみがえる生々しい銃声とともに逃げ惑う生徒たちの痛ましい叫びはより身近に感じられることだろう。
今また全米じゅうで銃規制を求める議論がヒートアップしている。フロリダの高校の悲劇からちょうど1ヶ月の3月14日には、17名の犠牲者を偲びつつ、銃規制の強化を訴えるための17分の抗議活動にも多くの学生が参加した。特に、若者たちが銃犯罪の犠牲者の心により寄り添い、銃規制へのさらなる声をあげはじめていることは救いだ。今回の苦い経験が未来を変える引き金となることを切に願う。
《椰子ノ木やほい/プロフィール》
2018年、米国では平均すると毎週どこかの教育現場で銃犯罪が起きているというのだから驚きだ。今回の事件で新聞やニュースだけでは知りえない現場の混沌ぶりを体験し、先日のフロリダの高校で起きた無差別の銃乱射事件を想うと、その悲惨さ、混乱、動揺など被害者の気持ちは想像を絶する。銃規制の声が高まってはいるものの、規制の声が大きくなればなるほど「今のうち買っておこう!」で銃が売れるというのだから困ったものだ。誰かほんとに何とかしてくれませんか!