第4回 日本帰国の第一段階、4〜5月は怒涛の日々

日本への帰国は二段階、まずは4月半ばに帰国して1ヶ月ほど滞在し、一度フランスに戻り、6月末に完全帰国することに。

というのも息子はフランスのリセ(フランスの高校)の1学年であるが、6月の学年末まで通って1学年を修了しておけば、もし仮に日本で生活することが難しくなっても来年9月に2学年から復学できるからだ。

今年は4月の後半2週間が復活祭休暇で、しかも5月前半にフランスは祝日が多い上に、国鉄の変則スト(4月〜6月の間に週に2日ずつストが行われる)もあるので、5月も半ばまでは登校日が少なく、休講も多いと予想された。

まず日本の高校に、入学が2週間近く遅れることを了承してもらう。入学式に出席できないのはちょっと残念だった。リセの方は担任に面接のアポを取り、息子を1ヶ月間試しに日本の高校に通わせ、うまく馴染めればその後日本に住む可能性がある、というような説明を夫にしてもらった。担任は、事務的に息子がリセを休む日程を確認した後、子どもの頃好きだった日本のアニメについて、そして日本にぜひ旅行したい旨などを滔々と語っただけで、息子の進路については一切触れず、全く興味がないといった様子であった。

4月半ばからの1ヶ月の滞在は、怒涛の日々だった。

住民票の異動、健康保険の申請などの役所での手続き、息子の高校入学手続き、児童相談所への療育手帳の申請準備、実家のインターネット設置工事、携帯電話の契約。平塚の老人ホームにいる両親を週1~2回のペースで訪ね、その間に実家をプチリフォームする話が出て、工務店と打ち合わせをし、実際に工事も行った。両親の財産管理をしている弁護士に挨拶に行ったり、息子の歯列矯正を続けるための歯科医を探したり。そして、夫の「生活費、学費は一切出さない」宣言を受け、就職活動も始める。と言っても会社勤めをするつもりはなく、フリーランスのままで仕事を増やしていくための挨拶回りをぼちぼち行った程度であるが。また、この滞在期間中に仕上げなければならない翻訳の仕事も抱えていて、しかも予定していたより量が多く、ありがたい話ではあるが、さらに忙しくなった。

そして、ゴミ屋敷と化した実家の片付けも毎日少しずつ行わなければならない。

時差ボケもあって、最初の1週間ぐらいはほとんど眠れずに走り回っていたし、やるべきことが次から次へと出て来て、目の回るような1ヶ月であった。

ただ、ありがたいことに、日本は行政を始め、サービスというものがきちんと確立されている。フランスのように役所で何時間も待たされた挙句に書類不備を指摘され、次のアポは何週間も先、というようなこともないし、インターネット設置やリフォームの工事でも業者は約束の日時にちゃんと来て、しかも仕事が早くてやるべきことをきちんとやる。交通機関も、フランスでは電車が遅れたり、線路の上で止まった電車内に数十分も閉じ込められたり、途中駅で乗客全員が降ろされたりすることが日常茶飯事であったが、日本は電車やバスが定刻通りに運行して、たとえ5分の遅れでもアナウンスや掲示で乗客に説明がある。日本で生活している人にとっては当たり前のことかもしれないが、フランスのひどいサービスに慣れた人間にとって日本のサービスはミラクルに思える。

物事がほぼ予定通りにサクサクと動くので、ストレスもなく、短時間で多くのことがこなせたおかげで、この怒涛の1ヶ月は、大きな問題もなくクリアできた。

何よりも息子も新しい学校に楽しそうに通っていたので、安心していよいよ本帰国に向けて準備を始められたのだ。

江草由香(えぐさゆか)/プロフィール
編集者・ライター・通訳・翻訳者・イベントコーディネーター。
立教大学仏文科卒。映画理論を学ぶために96年に渡仏し、パリ第一大学映画学科に登録。フランスでPRESSE FEMININE JAPONAISEを設立し、99年にパリ発フリーペーパー『Bisouビズ』を創刊し、現在日仏バイリンガルサイト『BisouJaponビズ・ジャポン』の編集長。個人ブログは『ビズ編集長ブログ』