アラブ風の迷路が続くトレド旧市街。観光客の喧騒を知らない石畳の裏通りを、先に立って案内してくれたのは、リズミカルに歩く若き陶芸家マリアでした。
夜中に誰かが描いたという銀色のグラフィティが光る真っ青な扉が開くと、とってもおしゃれな広い空間が目を奪いました。
散りばめられた、かわいい陶器やポップな絵の数々、
画材が無造作に置かれた、白木の床、
油絵の具の香りが漂い、アーティストの気配を感じます。
「4人の画家たちとシェアしているんです。あの奥の一角が、私のアトリエなんですよ」
白く塗られた丸天井、長い棚にずらりと並ぶ素焼きの作品、細かい道具類。
舞台のセットのような、あるいは、ブティックかギャラリーのような空間には、マリアのみずみずしい感性が、すみずみまで溢れていました。
若くして、こんなに本格的なアトリエを持つ陶芸家だったとは。
マリア、あなたって、一体……!?
マリアとの出会いは、昨年の秋のことでした。私の長年の友だちカルメンが、50代、40代、30代、20代と、世代を超えて気が合う5人の女性たちを集めたランチパーティーで、20代代表がマリアだったのです。
「陶芸やっているのよ、彼女」と紹介された、笑顔がキュートなマリアさんは、27歳。学生のようにも見えました。
ところがある日、来客があるので、お客様用の良いコーヒーカップが欲しかった私は、
「せっかくなら、マリアちゃんから買おう!」と思って連絡すると、
「ごめんなさーい。カップ、何にもないんです」と、残念な返事が。
彼女とはその後も何回か会ったのですが、陶芸の話も作品の宣伝もしないので、私はてっきり彼女の陶芸は単なる趣味なのだとばかり思っていました。
そんな矢先、道でばったり会ったマリアと、ちょっと立ち話をした時のことです。
「久しぶりね、マリア! どう、最近?」
「子どもたちに、陶芸を教え始めたんですよ。カスティーリャ・ラ・マンチャ州政府のマドリード・オフィスで」
「ん……?」
「趣味じゃなかったの!?」という疑問と、「市政府に選ばれるほどの陶芸家さんだったの?」という疑問が同時に浮かびました。
どう答えていいのかわからず、つなぎ言葉のつもりで、
「今度、マリアの作品、見たいわ〜」と私が言うと、
「先日、蚤の市に出したらほとんど売れちゃって、作品、あまり残ってないんですけど」
と、マリアが頭を掻きながら、私をこう誘ってくれました。
「今時間がありますか? もしよかったら、アトリエすぐそこなんで、遊びに来ませんか?」
「行く、行く!」
こうして、彼女の作品を見る機会も、アトリエを訪れる機会も、突然訪れたのです。
彼女のアトリエに一歩踏み込んだ時、ある感慨が、私を包みました。
20代後半に陶芸をやっていた時の映像が、降るように見えたからです。
それは、吉祥寺の井之頭公園のすぐそばにある陶芸研究所でした。
陶芸家の板橋廣美さんが主宰するこの研究所には、感性の豊かな、面白くて素敵な人々が集まっていました。プロやセミプロもいる中、私のようなズブの素人も歓迎してくれました。
土という原始的な素材を触った瞬間、子どもの頃、泥にまみれて遊ぶ楽しさが蘇りました。
それだけではありません。
手や気持ちが動くまま、土をこねて、好きな釉薬(ゆうやく)をかけた作品が、釉薬に潜む化学物質の反応によって、摩訶不思議な色を持つ焼き物になっている!
「わあ! 素人の自分にも、アートができる」と、私は陶芸の虜になったのです。
「懐かしすぎる!」
マリアさんのアトリエに一歩踏み込んだ瞬間から、吉祥寺のアトリエに戻ったような錯覚がして、体中の細胞が嬉しさで踊りだしたかのように、思い出とのシンクロがおさまりません。
彼女のアトリエが醸し出す空気は、陶芸作家として生きる覚悟をした者の聖域特有のものであることがよくわかります。
今は優れた陶芸家として活動する、吉祥寺で出会った友人たちと共通する独特の空気です。
「マリア、すごい場所じゃない!この若さで、これだけのアトリエを持てるなんて。日本の陶芸家たちがうらやましがるわよ」
「えへへ」
いつも多くを語らないマリアの、馴染みの笑顔が返ってくるのみです。
「マリアはいつから陶芸をやっているの?」
「今年で4年目です」
「ええっ? たった4年?」
そんな短期間で、これだけのアトリエを構えている上、さらには教室まで開いているとは。
これは、ただ事ではありません。
《河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール》
ライター。フォトグラファー。国立カスティーリャ・ラ・マンチャ大学日本語学科講師。2020東京オリンピック事前誘致コーディネーター。個人事業主として大小様々な案件を請け負う。2002年よりスペイン在住。日本とスペイン間の交流を調整する仕事が多いが、両国にわたる多くの課題をどのように解決するか考えるのが趣味になっている。ハマっているのは、落合陽一。彼の出るユーチューブを見ながら現代日本を再発見するのがとても楽しい。