第28回 消えゆくサフランを記憶する世代-3-

サフランの花摘みをするカルメンさんのお父さん (写真/カルメンさん提供)

「おかあさんを助けてあげなきゃ」————。

地面から低く咲くサフランの花を摘むため、朝から夕方まで、 腰を曲げたまま仕事をしている母親を思う一心で、家から畑まで自転車を夢中で漕いだという、 カルメンさんの少女時代の思い出話に打たれ、温かくも切ない余韻が続く中、とうとう、サフラン祭りが始まる金曜日になりました。

一方で、「今年は雨が降らなかったから、花が咲かなかった。祭りに使う花を、近隣の村に融通してもらっている」とのカルメンさんの話もまた、耳から離れません。

ちょうどその日、私は、ご主人の定年退職のプレゼントにトレド旅行を選ばれたチエさん一家と会う約束もありましたし、サフラン祭りにはどうせ行けないだろうと、最初から諦めモードになっていました。

ところが、不思議なことが、また起きたのです。

ベレー帽をかぶったお洒落なご主人と、奥様のチエさん筆頭の美人三姉妹は、おしゃべりが上手で、お酒もお好き。私たちは皆、 夜は当然ワインを飲みに行くものだと思っていました。

しかし、今日はせっかく一年に一度のサフラン祭りの始まる日。 言わないより言った方が話題にもなるかと思って、私はこう言ってみました。

「ドン・キホーテの風車のある村では、今日からサフラン祭りが始まるんですって」

「えっ!?」

三姉妹が 次々に声をあげました。

「サフラン祭り? 行きたい、行きたい! ぜひ連れてってください!」

「私たちの町って、サフラン で『村おこし』してるんですよ! 」

「私も庭で作っています!」」

驚いたのは、私の方です。こうして、夕方は、コンスエグラのサフラン祭りへ行くことが決まったのです。

黄土色の遺跡の街トレドから高速道路に入る頃、果てしなく続く地平線に夕陽がかかり、空はオレンジとも紫ともつかない幻想的な色に変わり始めました。やがて、目の前の小高い山に何基もの風車が並ぶ、コンスエグラ独特の風景が見えてきました。

 

サフランの花を表す祭りのイリュミネーション(写真/チエさん提供)

駐車場に着く頃はすっかり夜になっていました。祭り独特の灯りや熱気でムンムンする道を進んで行くと、入り口が大型トラクター、農機具、畑で乗れる四輪駆動の車の展示場になっている公園があり、その奥に大きな白いテントが見えました。公園では、ビールや葉巻を手にした男たちが輪を作り、女たちはテーブルを囲んでおしゃべりに花を咲かせ、その横を子どもたちや犬が走り回っています。

「いいねえ、田舎の祭りって感じがする! ディープだわぁ」と三姉妹。

 

風車を表すイリュミネーション。サフラン祭りの入り口付近で。(写真/チエさん提供)

特設テントの中は、まるで公設市場そのものでした。チーズの塊を売る店、生ハム、チョリソのコーナー、手芸や陶芸のブース、オーガニック・オレガノや、天井からつるした乾燥パプリカの店などがぎっしり並んでいます。

 

雌しべ摘みを実演するサフランのブース(写真/チエさん提供)

そんな中、カルメンさんの言った通り、サフランのブースが、確かに二つ。

民族衣装をまとった女性が、雌しべを抜き取る作業を実演していたのです。

「えー安い! うちの村の十分の一じゃない!  すごい! 友達にも買ってあげよう!」

チエさんたちの感嘆が止まりません。

「まさか、こんな旅ができるなんて、夢にも思っていなかったわ。トレドに来た日が、サフラン祭りのある日だったなんて!」

私も、小さいケースを一箱買いました。コンスエグラ産ではないと知っていても、間違いなくラ・マンチャ地方のサフランです。

家に着いてバッグを開けると、サフランの匂いがふわーっと溢れ、部屋に広がりました。スパイス用の引き出しにしまっても、香りがおさまりません。

私は子どもみたいに引き出しを何度も開け閉めして、飛び出す香りを楽しみました。

日本に帰ったチエさんから、写真付きのメールが届きました。

なんと、出身地の大分県竹田市は、サフラン作りの伝統が100年以上もある日本屈指の町だと書いてあります。品質は、スペイン産に劣らないとか。

サフラン作りでスペインを代表する村が、日本の代表と繋がった!

この不思議な出会いを報告したかった相手は、もちろん、カルメンさんです。

話を聞いて、彼女は大変喜んでくれました。

そして、一つ、秘密を教えてくれました。

「両親の家にはね、 まだサフランが残っているの」
「昔のサフランが?」

「そうよ。乾燥させてあるから長持ちするのよ。まだ、だいぶ持つわ。私たちはどんな料理にもサフランを使うのよ」

「なんて羨ましい。それってサフラン農家のみに許された贅沢ですね! 」

「この前、ラーメンにも入れてみたわよ。見よう見まねで作ったんだけど、美味しかった!」

ラーメンに、サフラン?  

どんな味になるか、想像もできません。

後日、恐る恐る、カルメン考案のサフランラーメンを作ってみました。

醤油味に入れたらサフランの味など消えてしまうかという予想に反して、爽やかな香りとやさしい喉ごしを感じる、ちょっと癖になりそうな味でした。

サフラン風味のラーメンとともに、喉を通って胃に落ちた、ある思いがあります。

(今回の一連の不思議な出会いって、 この世から消え行く運命にある、スペイン産サフランがかけた魔法だった?)

(まだ間に合ううちに、出会うべき人たちを出会わせておきたかったということかな?)

消えゆくサフランを見届けてきた世代の二人が、いつか顔を合わせて、一緒にサフランラーメンが食べられたら、楽しいだろうな。

……そんな手伝いができたら、本望です。

 

河合妙香(かわいたえこ)/プロフィール
ライター。フォトグラファー。国立カスティーリャ・ラマンチャ大学日本語学科講師。2002年よりスペイン在住。スペインに来る前は中国語畑におり、それ以前は英語人間で、英語漬けの日々だった。スペインではアニメ好きな学生があまりにも多いため、 アニメや漫画を復習中。肌に合うのは少年漫画だが、目下、少女時代に読まなかった萩尾望都の『ポーの一族』を読んでいる。